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日本新聞2017年6月28日、4216号より
  
6.23沖縄慰霊の日 沖縄戦を二度と繰り返さない誓い新たに
「辺野古に基地は造らせない」と翁長知事、「戦後一貫して平和を重んじてきた」とうそぶく安倍首相。基地を拒否する沖縄県民の声に応えよ
  
 6月23日は沖縄戦後72年目の慰霊の日であった。沖縄ではこの日を休日とし、沖縄戦で犠牲になった人々を県民みんなで追悼する日としている。
 太平洋戦争末期、劣勢となった日本軍は、沖縄に米軍を釘づけにしておいて本土決戦に備えて時間稼ぎするという作戦を取った。沖縄を捨て石としたのである。このため、沖縄の人々は多大な犠牲を強いられ、約90日間で日本兵6万6000人、沖縄出身兵士2万8000人、米兵1万2000人、そして沖縄の住民9万4000人が犠牲となった。県民の4人に1人が命を奪われたのである。
 6月23日、平和祈念公園の平和の礎、魂魄の塔には早朝からたくさんの沖縄県民が、沖縄戦で犠牲になった肉親、知人の慰霊に訪れていた。
 一人で供養していた20歳の青年は、昨年まではおばあさんと来ていたが、そのおばあさんが亡くなったので一人で来たという。沖縄戦の時、おばあさんの妹がマラリアで亡くなったという。妹の方が丈夫だったので、おばあさんの方が気遣ってもらって、妹が亡くなったとおばあさんは気にかけていたという。青年は「ずっと、ここに来ます。僕には責任があるから」と話していた。
 83歳の女性はお兄さんが沖縄戦で命をおとしたという。上のお兄さんが志願して戦争に行き、二番目のお兄さんと家族みんなで防空壕に逃げていた時、憲兵や警察がやってきて、お兄さんを引きずり出して連れて行った。その時、お兄さんは「非国民と言われても戦争に行かない。家族を守る」と言ったという。一番危険な砲弾運びをやらされ、砲撃され足の傷に蛆がわいて苦しんで死んでいった。その女性はお兄さんが「うじを取ってくれ!」と叫ぶ夢を見、後日お兄さんの最後の様子を聞き、今も深い悲しみを抱いている。「沖縄戦を美化しないで、誇張しないで、本当のことをありのままに報道してほしい」と話していた。本当にむごい事実である。こうして10代の若者が次々と殺されていったのである。
 伊江島の女性は「沖縄戦は5歳の時だった。家族と一緒に逃げたから心細くはなかったが、ひもじかった。日本軍は墓からカメごと遺骨を出してしまい、墓を自分たちの避難場所にした。島は焼け野原で何もなくなってしまった。集団自決の話もたくさん聞いた」と話した。
 沖縄県民一人一人が悲しい無念な体験をし、平和の礎にかけつけてきているのだ。異口同音に「「来れる限り、ここに来ます」と語り、礎に刻まれた肉親や知人の名前をみつめていた。
  
「沖縄の基地は2割減った」という安倍首相発言に怒る沖縄県民
 糸満市摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。翁長知事は「戦後72年を経た今も、沖縄には広大な米軍基地がある。国土面積の0.6%の沖縄に全国の約70.4%の米軍基地が集中している。そして米軍基地から派生する事件、事故などに苦しめられている。普天間基地の辺野古移設については、沖縄の民意を顧みず、工事を強行している状況は容認できない。今後も、辺野古に新たな基地を造らせないために不退転の決意で取り組む。先月亡くなられた太田昌秀元沖縄県知事は沖縄戦で命を落とされたすべての方々を追悼する平和の礎を建立した。平和の礎に込められた思いを次世代へ継承するとともに、未来を担う子や孫が安心安全に暮らせる沖縄を築く」と平和への決意を語った。
 これに対して安倍首相の「我が国は戦後一貫して平和を重んじる道を歩んできた。沖縄県内の米軍基地の約2割という本土復帰後最大の返還が実現した。地元の意見を聞き、できることはすべてやる」という発言は、大きな怒りをかった。沖縄の民意を踏みにじり、新たな基地を押しつけようとしながら、沖縄県身が集っている場で、このようなことがよくも言えるものだ。戦争法を決め、共謀罪を決めながら「一貫して平和を重んじる道を歩んできた」と言うのである。
 魂魄の塔は、身元の分からない遺骨を弔った場所である。魂魄の塔で会った女性はだんなさんを沖縄戦で亡くしたが、いつ、どこで、どのようにして亡くなったのか何もわからないという。何度も目頭を押さえていた。97歳で、来年来れるかどうかわからない、今年が最後かもしれないと思って来たという。一緒にいた男性はその女性のお姉さんのお孫さんだった。「今日、安倍首相は沖縄の米軍基地が2割減ったと言った。戦力がですか、面積がですか。全くウソだ。本土の人に沖縄の人間の気持ちがわかるか。わかったら基地を押しつけたりしない」という言葉は重かった。
 沖縄戦が過去のことではなく、今も沖縄に基地を押しつけ、沖縄の人たちに犠牲が強いられている。終わったことではないのだという怒りが、静かなひとことひとことの中から響いてきた。
 平和を愛して生きてきた沖縄の人々が、土地を奪われ、命まで奪われた。戦後も米軍に土地を占拠されたままである。それは日本がやったことである。勝手に沖縄を差し出したのである。
 戦後72年、私たちは二度と戦争を繰り返さないと同時に、沖縄の闘いと連帯し、基地のない沖縄を克ち取る運動を前進させよう。 (沢)
  
  
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