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日本新聞2019年3月27日、4305号より
  
「原発はいらない!」と1万人が結集
「原発事故は終わっていない!」と再稼働を進める政府に怒りの声、「沖縄の民意を踏みにじるな!」と心の底からの憤りが響き渡った
  
 3月21日、代々木公園で「さようなら原発全国集会」が開催され、強風の中、1万人が結集した。
 前日の朝、経産省前テント広場で原発反対を訴えて闘い抜いた淵上太郎さんが亡くなられた。理不尽に対して闘い抜いた生涯であった。集会では淵上さんの思いを受け継いで闘おうと、開会のあいさつの鎌田慧さんも訴えた。「今、国の方針でしゃにむに再稼働が行われている。原発は破たんしているのに、ただ儲ければいいと全くモラルを欠いた守銭奴のような考え方だ。安倍内閣がそんな企業を支えている。沖縄の人達が辺野古の基地はいらないと言っても、それでも海に土砂を投入している。こんな政権は許されない」と力強く訴えた。
 福島原発告訴団・フリーライターの人見やよいさんは「わたしの活動はどんどん増える一方だ。何も解決しないから。原発事故が終わっていないからだ。それなのに終わったかのように言われている。福島県には今3000台のモニタリングポストがある。避難地域以外の2400台をすべて撤去しようとしている。リアルタイムで瞬時に何マイクロシーベルトかわかるものから撤去するという。むしろ日本全国にモニタリングポストを立てるべきだと思う。これに対して市民も地方自治体も頑張っている。絶対に負けるわけにはいかない。汚染水を海に放出することにも反対してきた。タンクは限界ではない。もっと作る所はある。汚染土を全国にばらまくのもおかしい。原発事故の責任を誰一人取っていない、これが一番おかしい」と現在の問題点を明確に指摘した。
 作家の落合恵子さんは「淵上さんが亡くなられました。本当に悔しいし残念です。淵上さんに“私たち、もう少し頑張るからね”と約束しました。ところが首相の4選論まで出ている。とんでもない。“寄り添う”と安倍首相は良く言いますが、寄り添うの意味を教えてほしい。“沖縄に寄り添う”、県民があれだけノーと言っている現実があるのに。“福島に寄り添う”まだまだ苦しんでいる人たちがいる現実があるのに。本当に無念です。この社会を手渡すために今は頑張りましょう。こんな政治は絶対許さないと答えを出しましょう」と呼びかけた。
 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの外間さんは「“さよなら日本”沖縄からそう言いたい。ジュゴンが殺された、翁長知事が殺された。誰が殺したのか。沖縄の自然を奪い、空を奪い、米軍に居座られて、基地がなければ生きていかれないだろうと言われ続けて、挙句に“日本の民主主義と沖縄の民主主義は違う”と公然と言う政治家がいる破廉恥で残虐な国。沖縄は黙っているわけにはいかない。しかし、沖縄のことを一緒にやっていこうとする人々がまだいる。一緒に頑張っていきたい」と怒りを込めて訴えた。民主主義など全くない日本の現状を変えていかなくてはならないと思いを新たにした。
  
原発事故継続を示す福島の現状
 3月16日、福島県教育会館で「2019原発のない福島を!県民大集会」が行われた。1700人が参加した。
・東電福島第二原発を廃炉とし、福島県では原子力発電は将来にわたり行わず、福島県を再生可能エネルギーの研究・開発及び自立的な実施拠点とすること
・放射能によって奪われた福島県の安全・安心を回復し、県民の健康、とりわけ子ども達の健やかな成長を長期にわたって保障すること
・原発事故に伴う被害への賠償、及び被災者の生活再建支援を、国と東京電力の責任において完全に実施すること
の3つを目標に行われた集会である。
 被災者を代表して、浪江町から避難している鈴木さんは「核災棄民が語り継ぐこと」と題して話した。「震災の翌日、水素爆発のため、津島に避難し、3日後に娘のいる仙台市、そして佐渡市、7月に福島市の仮設住宅に移転し、一息ついた。5回目の引っ越しで南相馬市に中古住宅を求め現在に至っている。母は浪江町の特養から避難した疲労が原因で寝たきりになって翌年亡くなった。私は原発事故の被害者を核災棄民と言っている。被災者は100万人に及び、巨大な規模の人災だ。法律にも守られなかった。違法行為は今も続き、情報は非公開。浪江町民1万5788人は集団ADRに訴えた。しかし東電は6回にわたり和解を拒否。昨年7月5日に和解を打ち切った。この5年間に864人が亡くなった。昨年11月27日、提訴に踏み切った。被告は国と東電だ。浪江の自宅の避難指示は一昨年解除された。宅地除染は不十分、ため池の除染の方針もない中で避難指示解除。雑木林は毎時0.95マイクロシーベルト。4月から住めない土地に固定資産税課税。浪江町民の49.93%が帰還しない。その人達にも課税する。東電が負担すべきだ。故郷は限界集落以下の状態だ」と憤りを語った。
 浪江中の教師である柴口さんは「卒業式で3人の卒業生、送り出す在校生は1人。震災前の浪江中学校の在校生は約400人。在校生も転校を決断し、浪江中は閉校になる。卒業生は“普通は卒業したら高校の制服を着て母校に来るよな。でも俺たちはそれができないな”と言っている。私は“何があっても先生の電話番号は消すなよ。何かあったら連絡しろよ”と言っている。心は離れないという思いだ。心が離れないことが復興の土台となる」と語った。原発事故がなかったら、離れ離れにならなくても良かったのに、という思いが痛いほど伝わってきた。
 第20代高校生大使の高橋さんは「小学校3年生の春休みに入る前に東日本大震災を経験した。外で遊んでいたらお母さんに“外には放射線が飛んでいるから遊んではいけない”と言われた。マスクをかけたり外で遊べないことが大きなストレスになった。親たちはどうやって子どもを守るかという不安や恐怖があったという。原発が爆発したせいだ。原発事故の被害は私たちの世代で解決できないものだ。原発事故の恐ろしさを伝えていきたい」と話した。
 当たり前の生活が奪われた影響は大きいし、これからも続く。若者が、起きたことにしっかり目を向けようとしているのが希望だ。
 福島の惨事を二度と繰り返さないために、原発再稼働をやめさせ、原発のない日本にしていかなければならない。事故から9年目に突入し、今も事故が継続していることを直視しよう。 (沢)
  
  
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