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2023.11.29
日本新聞
日本新聞 4545号記事 東電、3回目の汚染水の海洋投棄強行
東電、3回目の汚染水の海洋投棄強行
汚染水を処理水と偽り、危険性を隠す国と東電。トリチウムをはじめ62種もの放射性物質がタンクの7割で基準超え。海洋投棄は中止を
東電は11月20日に、汚染水の3回目の海洋投棄を完了したと発表した。2023年度中に4回の海洋投棄を実施するとしており、4回目は年明けに行う予定だという。8月24日から3回の投棄で約2万トンの汚染水が減ったというが、保管総量のわずか約1.5%だというのだから、延々と続ける計画である。しかも汚染水は毎日約90トンも増え続けているという。
政府も東電も「処理水」と呼んで、ALPS(多核種除去設備)で処理したから安全だというが、果たして処理されたのか。東電が投棄している「処理水」にはトリチウムが含まれている。トリチウムは飛距離も短く影響が少ないように言われるが、決してそうではない。体内に長くとどまり、近くの細胞に影響を与える。また、トリチウムが水素と置き換わった場合、被ばくの影響が強くなり、ヘリウムに壊変したときにDNAが破損するなどの影響が指摘されている。そしてトリチウムだけではなく、7割のタンクで62の放射性核種の濃度が全体として排出基準を上回っており、最大で基準の2万倍近くなっていると、東電は公表している。どうしてこのようなものを海に流していいのか。これは犯罪と言っても言い過ぎではない。
驚くべきことに、東電が放射性物質を測っているのは3つのタンク群だけである。タンクの水全体の3%にも満たない。これでは調べたことにならないではないか。
東電は、経費がかかるからと津波対策を行わず、2011年3月11日の東日本大震災で福島第一原発事故を引き起こした。そして今、海洋投棄ではなく、モルタル固化して半地下で保管する案、石油備蓄に使われている大型タンクに入れ替える案など代替案はあるのに、最も経費が安上がりで済む海洋投棄を強行しているのである。東電には原発事故の反省は全くない。
海洋投棄への国内外の批判高まる
2015年に国と東電は福島県漁連と「(ALPSを通した水は)関係者の理解なくして、いかなる処分もしない」という文書を交わした。県漁連は「海洋投棄はあくまでも反対だ」と一貫している。「関係者の理解なくして、いかなる処分もしない」は一体どうなったのか。交わした文書どおりなら、海洋投棄はできないはずだが強行している。関係者の意見を聞くどころか、全く無視している。
また、中国や韓国の市民団体、太平洋島しょ国も海洋投棄に反対している。中国は核汚染水の海洋投棄は世界の環境破壊だと指摘している。
岸田首相は16日の中国の習近平国家主席との会談で、「(海洋投棄を巡り)対話を通じて解決する方法を見出すことで一致した」と発表した。これが一致と言えるのか。中国の再三の反対を無視して日本は海洋投棄を強行している。そして、安全を危惧して、日本の海産物の輸入を禁止したことを、日本政府は怒っている。岸田首相は「あらゆる機会をとらえて、中国に日本産水産物の輸入規制撤廃を働きかける」と言うが、解決は海洋投棄を中止する以外にない。
福島第一原発事故という未曽有の過酷事故を引き起こし、今度はデブリに触れた汚染水を海に流しているのだから、国際世論の非難は当然のことである。
今、日本がやるべきことは、汚染水の海洋投棄を中止し、東海第二などの老朽原発の再稼働するのではなく、原発から撤退することである。 (沢) -
2023.11.22
日本新聞
日本新聞 4544号記事 東海第二原発再稼働許さない声響く
老朽原発の再稼働を止めようと日本教育会館に700名が結集。
心を打 つ被害者の叫び。嘘で固めた原発政策を暴き、原発からの撤退を!
11月18日、日本教育会館で「東海第二原発の再稼働を許さない!――首都圏大集会――」が開催され、700名が駆けつけた。
主催者を代表して、「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」の柳田さんからの、「原発を動かさなくても電気は足りてる。原発は事故を起こす。原発は廃止に。原発も戦争もやめよう」という呼びかけでスタートした。
東海第二原発再稼働 はあまりにも危険
小出裕章さんは、「嘘で固められた原子力 東海第二原発の再稼働」と題して、講演した。
――原子力に夢を持ち、その研究をした。その結果、“この機械(原子力)はダメだ。これを使うのは人間で、必ず事故が起きる”と考えた。
原発を一番多く造ったのは米国。しかし地震から逃れられる地域に造った。ヨーロッパも強い岩盤がある。日本は世界の地震の20%以上が起きる地震大国なのに、57基もの原発を造った。大間違いだ。2011年の東電福島第一原発で、心配していた事故は起きた。国も電力会社も“原発事故は起きない”と言いながら、心配だから過疎地に造った。事故が起きたら“想定外”。津波と地震に見舞われた災害弱者は、原発事故で“立ち入り禁止区域”に指定され、救助を待ちながら息絶えていった。15万人が強制避難、転々とさせられ、流浪化してしまう。自殺した人もいる。国は放射線管理区域に100万人を超える人々を棄ててしまった。
“子どもを守りたい”と自主避難した人は、生活が壊れ、家庭が崩壊し、心がつぶれてしまう。そういう人たちに国は“もう福島に帰れ。わがままを言うな”と公的住宅支援打ち切り。
国策で原発推進したのだから、国が最大の責任。原子力ムラ、いや原子力マフィアは、原発を造って大儲け。今度は除染で大儲け。今は福島浜通りにイノベーション産業復興だとまたまた儲けようとしている。私が原発事故から得た教訓は、原発は即刻全部やめろ。原子力マフィアが得た教訓は、何も責任を問われず大儲けできる。
国というものは嘘をつく。原子力緊急事態宣言は今も続いているのに。“電力がひっ迫している。二酸化炭素が地球温暖化の原因。脱炭素エネルギーのために原発が必要”みんな嘘だ。
東海第二の運転開始から45年。老朽原発の再稼働は特に危険だ。原子炉圧力容器の劣化は、炉内に試験片を設置し、それを取り出して点検する。しかし東海第二では試験片を使い果たし、劣化を評価できない。無数の部品も40年の寿命をもとに施工された。いつ事故が起きるかわからない。
東海第二は半径30キロ圏内に94万人が居住、150キロ圏内に首都圏がすっぽり入る。防潮堤の工事の欠陥も指摘されている。日本原電は新規制基準に対応する工事費用もない。それを東電が肩代わりする。東電を支援しているのは国。つまり私たちの税金で再稼働が行われる。何としても止めなければならない」――
避難者の鴨下美和さんは、避難指示が出なかったいわき市からの避難者であったために、ののしられたという。息子さんもひどいいじめにあった。いわき市も当時は毎時23マイクロシーベルトという高い線量だったが、測定されていない。いわき市は34万人の大都市。人口の多い所は測定されていない。そして、新幹線が通るところは測定しなかったのではないかと、鴨下さんは指摘する。「自主避難で支援もないので、夫はいわきに帰って仕事に戻った。子ども達みんなにおやつ代が渡された時、4歳の次男はそのお金を持ってきて、“これでお父さんも一緒に暮らせるね”と言った。4歳の子が生まれて初めて手にしたお金で買おうとしたのは、お父さんとの暮らしだったんです」という言葉は実に重い言葉だった。被ばくについて訴えると“風評加害者”と攻撃されるのもひどい。なぜ被害者が加害者扱いされなければならないのか。怒りがわく。
参加者は、運転開始から46年にもなる東海第二原発の再稼働を決して許さず、廃炉とすることを求めて、首都圏の市民と共に闘い続けると集会決議を採択し、神保町の街を「原発はいらない!」と声をあげて行進した。
東海第二原発をはじめ、すべての原発は廃炉に! (沢) -
2023.11.15
日本新聞
日本新聞 4543号記事 水俣病問題は終わっていない
経済成長を優先し、水俣病患者を切り捨て、チッソを守った政府。人命を奪い、自然を破壊し、生業を奪う公害の構図は原発と瓜二つだ
水俣フォーラム主催の水俣病・福岡展が10月7日~11月14日に開催された。改めて、水俣病とは何かについて考えるために11月2日、水俣展に参加し、3日は、水俣病が発症した熊本でも現地の相思社の方に案内していただいた。そして、今なお裁判を続ける胎児性水俣病患者のお話を聞く中で、水俣はまだ終わっていないことを痛切に感じた。
垂れ流しを放置し被害拡大
水俣病は、日本窒素肥料株式会社(後にチッソ株式会社、以下チッソとする)の工場排水のメチル水銀に汚染された魚介類を食べたことによって起きたメチル水銀中毒である。メチル水銀は耳かき半分ほどで人を殺す猛毒である。
体に入ったメチル水銀は脳神経を犯し、体の平衡感覚や知覚(触覚、視覚、聴覚)の部分が壊される。破壊された脳は治ることがない。
酢酸や塩化ビニール等の原料となるアセトアルデヒドを製造する時、副生されたのがメチル水銀である。
チッソがアセドアルデヒドを製造開始したのは1932年。それを排水溝からたれ流したために魚貝の宝庫である不知火海がメチル水銀に汚染された。
魚の死体が浮かび、猫が狂い死にし、人も発症した。狂ったような症状になり、意識不明になり、1カ月以内に亡くなる重傷者や、母親の胎内で、メチル水銀に侵されて生まれる胎児性水俣病患者も発生した。奇病、伝染病とされたが、脳の神経疾患として水俣病が公式確認されたのが、1956年(昭和31年)である。
1965年新潟県阿賀野川流域で、昭和電工の流したメチル水銀で水俣病が発生したことで、1968年、ようやく水俣病を公害病と認定した。その時工場の排水も停止した。実に36年間も放置したために、被害が拡大した。
チッソの垂れ流したメチル水銀の量は、1億人を2回殺してもなお余りがあるといわれている。
どうしてそれが許されたのかである。
チッソを守った政府
チッソは日本を代表する化学工業企業であった。戦後の日本の経済成長を支えた大黒柱の一つである。
1959年、熊本大は「原因はチッソ工場排水のメチル水銀」と公表したが、政府は、経済成長を止めるわけにいかないと、政府見解を先延ばしし、チッソを守った。
つまり、日本の経済成長のために、水俣病患者がどんなに死のうが、苦しもうが、経済成長を優先した。
そして、チッソも原因を認めず「戦前の海軍の爆薬が原因」とした。原因がわかってからも想定外とした。また、排水経路を百間排水溝から水俣湾に垂れ流すのを変えて、八幡プールから、不知火海に変更したために更に被害が拡大した。
また、1959年に患者に「見舞い契約」をし、水俣病を終わらせようとした。大人10万円、子ども3万円を渡し、チッソが原因だとわかっても、新たな補償を要求しない約束をさせた。汚い手口である。
そして悲しいことに、チッソ城下町である水俣では、患者に寄り添うのではなく、市長、市議会、商工会議所、農協、チッソ第二組合(第一組合は患者側に立ったが、つぶされてしまった)、地区労など総がかりで、患者に襲いかかり、チッソを守った。今でもその分断の傷跡は深い。「もやい」(つながり)を訴えても、なかなかうまくいかないという。
「今さえ、金さえ、自分さえよければいい」という考え方は、経済成長時代から作られてきたものである。
誰と手をつないでいくかの視点がなければ連帯はできない。
なぜ今も裁判が続くのか
水俣病患者は20万人以上と言われているが、22年時点で、認定患者は熊本県で1791人、鹿児島県で493人の計2284人のみである。それに新潟県716人を含めて3000人しかいない。
政府は、全汚染地域の住民健康調査を行わず、ひたすら認定患者の数を限定してチッソを守った。
ところが、患者は、極貧の中、病苦を抱えながら、生活や病気の補償を求めて裁判や座り込みでチッソと闘ってきた。1995年村山内閣が水俣病解決策として一時金260万円と医療補償をした。また、国の責任を認める判決が出て、2009年に水俣病特措法として一時金210万円と医療保障を行った。認定患者含めて、8万人が水俣病被害者となった。
しかし、「特措法」でも、地域や年代で区切られているために補償に漏れる人や医療保障だけでは生活できないので、認定患者のように年金で補償すべきであると裁判は続いている。
政府はチッソを優遇し、融資しているが、患者を守り、補償すべきである。
水俣湾は、埋め立てられ、公園として整備されたが、埋め立て地の下には高濃度の水銀へドロがある。
命を奪い傷つけ、自然を破壊し、生業を奪う公害と原発は全く同じ構図である。経済優先ではなく、命こそ大事にすべきである。 (對馬) -
2023.11.08
日本新聞
日本新聞 4542号記事 狭山再審求め、日比谷野音に3000名結集
無実を叫び60年の闘い。「無罪を克ち取るまで死なない」と語る石川一雄さんは84歳。裁判所は再審を早急に開始し、冤罪を晴らすべき
10月31日、日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会」が開催され、全国から約3000名がかけつけた。
狭山市で1963年に女子高校生が誘拐・殺害され、被差別部落の24歳の青年・石川一雄さんが犯人にでっち上げられ、60年経った今も、強盗殺人犯の冤罪を着せられている、これが狭山事件である。数々の証拠から、石川さんの無実は明らかであるのに、再審請求はことごとく却下され、今、第三次再審請求を行っている。裁判所は一刻も早く、石川さんの再審を決定すべきである。
10月31日、日比谷野音には、石川さんの再審を求める訴えが続いた。
大野裁判長が今年12月で退官する。何としても大野裁判長のもとで再審を克ち取ろうと、闘いが展開されている。
社民党の福島みずほ党首は「大学生の時に“石川青年は無実だ!”というゼッケンをつけて集会に参加したことを、よく覚えている。逮捕されて石川さんが書いた“私はやってません”という文体は、脅迫状と似ても似つかない。万年筆のインクも被害者の物ではない。刑事訴訟における再審の部門を改正し、再審法を作るべきだ。証拠調べが条文化されるべき。検察官の抗告を許さない法を作るべき。死刑をなくしたい」と訴えた。
すべての冤罪を晴らす闘い
石川さんは「再審で無罪を克ち取るまでは、石川一雄は死にません。残念なのは、桜井さんが逝ってしまったことです。千葉刑務所で15年間、一緒にやってきた。お互いに頑張ろうとやってきた。狭山事件はなかなか勝利することができない。大野裁判長に、最低でも事実調べをやるように求めたい。長年、三者協議に出て、証拠もわかっている。再審を決めてもらいたい。皆さんも、要請行動を起こしてほしい」と訴えた。
石川早智子さんは「狭山事件発生から60年、寺尾不当判決から49年になる。49年前の10月31日の寺尾判決は、石川一雄84年の人生で一番悔しい日だ、と本人から聞いた。2009年12月、門野裁判長は、8項目の証拠開示勧告を出した。本当にうれしかった、大きく動くと思った。しかしなかなか動かない。大野裁判長退官まで、まだ時間がある。大野裁判長の決断、正義を信じたい。袴田さんは10月27日、裁判が始まった。もうこれ以上、袴田さんの人生を翻弄するのはやめてほしい。次は狭山だ。石川が元気なうちに無罪を克ち取り、両親の墓にも手を合わせたいと願っています」と語った。
袴田巌さんのお姉さんのひで子さんもかけつけ、「袴田事件は弟が30歳、私が33歳の時の事件。57年経って私は、90歳になって初めて、裁判というものに出た。大勢の方が冤罪で泣いている。巌だけ助かればいいとは思っていない。皆さん、早く再審開始になってほしい。来年の3月か4月には結審になり、遅くとも夏には無罪になると思っている。今度は石川さんの番だ。これからも共に頑張っていく」と、き然と訴えた。
人生の57年、60年を奪われるとは、人生そのものを奪われてしまったことである。無実が明らかなのに、いたずらに時間を引き延ばし、冤罪を着せるなど、あってはならないことである。足利事件の菅家さんが「私を取り調べた警察や検察に謝ってほしい!」と怒りをもって訴えたように、人権侵害も甚だしい取り調べ(暴言、暴力)が行われている。
取り調べの可視化、再審法の改正は緊急である。狭山事件の再審開始、鑑定尋問の実施を求める。一刻も早く、冤罪を晴らさなければならない。 (沢)