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2024.08.28
日本新聞
汚染水の海洋投棄は ただちに停止を
4584号1面記事
汚染水の海洋投棄は ただちに停止を
トリチウムを筆頭に多くの放射性物質含む汚染水海洋投棄を8回も強行。デブリ取り出しは不可能。石棺で覆う放射能封じ込め実施を
8月22日、東電は事故を起こした福島第一原発燃料デブリの試験的取り出し作業を初めて行う予定だったが、手順を間違え中断した。再開のメドは立っていない。燃料デブリは事故で溶けた核燃料が冷えて固まったもので、高線量で人間は近づけない。パイプを5本つなげて、取り出しに使うロボットを2号機に投入する予定だったが、パイプをつなぐ順番が間違っていたため、中断。これまでもロボットの開発の遅れや、堆積物でロボットが進めないなどで、デブリの試験的取り出しはこれまで3回延期され、当初の計画から3年も遅れている。
1号機から3号機まで合わせたデブリは約880トンあると推計されている。試験的デブリ取り出しは、計画通り進んだとしても、2週間かけて3グラム取り出すというもの。
一体どうやって、どのくらいの時間をかけて880トンのデブリを取り出すのか。しかもそれをどこにどうやって保管するのか。
元京大原子炉実験所助教の小出裕章さんは、「国と東電が策定したロードマップは『幻想』です」と断じている。デブリ取り出し一つとっても全く同感だ。小出さんは次のように指摘している。
「国と東電はデブリが、圧力容器直下のコンクリート製の台座に、まんじゅうのような塊になって堆積していると期待していた。格納容器と圧力容器のふたを開け、上からつかみ出す予定だった。ところが、デブリは飛び散っていることがわかった。そこで、国と東電は格納容器の横に穴を開け、横に取り出すと言い出した。作業員の被ばくが膨大になり、しかも格納容器の反対側にあるデブリは取り出せない」
結論として小出さんは「デブリの取り出しは100年経っても不可能。チェルノブイリのように原子炉建屋全体をコンクリート製の構造物(石棺)で封じ込めるしかない」と言っている。
汚染水海洋投棄、デブリ取り出しを中止し、原発からの撤退を
8月21日、「ミライノウミプロジェクト」主催の院内集会と政府交渉が、衆院第二議員会館で行われた。
福島県平和フォーラム、原子力資料情報室、原水禁が呼びかけ団体となり、「『ALPS処理水』海洋投棄を直ちに停止してください」と署名活動を行い、今集会を開催した。
「ALPS処理水」にはトリチウムをはじめ、処理できない放射性物質が含まれている。「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」という約束を反故にして強行している。他の方法を講ずるべきだと話された。
また、通常的に福島第一原発敷地内から雨水での垂れ流しは問題にされていない。
・構内排水路を通って流れ出るもの、これはALPS処理もしていない危険なものだ。ALPS処理はで
きることだ。
・海側遮水壁から汚染水が外に出ている。2019年の東電の発表で1日30トン。
海洋投棄より、はるかに多い放射性物質が日々、垂れ流されているのである。今、海洋投棄されている汚染水はトリチウムが少ないもの、他の核種があまり入っていないもので、これからがますます問題になる。
政府交渉に先立ち、これまでの署名20万7456筆が経産省に提出された。政府は署名に込められた思いを真摯に受け止めてほしいものだ。
ロードマップが崩壊していることについては経産省側は、「3年程度遅れてはいるが、着実に進展している」と繰り返し強調し、「ロードマップ見直しは考えていない」と言い放った。
小出さんが指摘しているように、原子炉建屋全体をコンクリート製の石棺で覆うことが、現時点で有効な措置だと思われる。地下水の流入を防ぎ、汚染水の増大を防ぐ。そして放射性物質の環境への拡散を止める。これ以上、作業員の被ばく、環境汚染を拡大することにストップをかけなくてはならない。
原発再稼働などとんでもない。政府はただちに原発から撤退すべきである。 (沢)
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2024.08.21
日本新聞
東海第二原発 防潮堤不備、再稼働中止を
4583号1面記事
東海第二原発
防潮堤不備、再稼働中止を
防潮堤の造り直しを求められているのに補強工事で済まそうとする日本原電。老朽被災原発の稼働は危険。再稼働でなく廃炉にすべき
日本原子力発電(原電)は、施工不良がみつかった東海第二原発の防潮堤で、補強工事で対応する考えを示した。防潮堤は安藤ハザマなどの共同企業体が建設したもの。昨年10月に原電によると、取水口が設置されている鋼製防護壁を支える鉄筋コンクリート製の2本の基礎で問題が見つかった。コンクリの充填不足による隙間や鉄筋の変型がある。
原子力規制委は、「防潮堤としては期待できない。地震と津波に耐えられるかわからない。抜本的に設計を見直し、造り直しを含め検討を」と求めた。これに対して原電が回答したのが「補強」なのである。「9月完成」が造り直しでは大幅に遅れるために、「補強」でしのごうとしているのだ。
原子力規制委が安全を第一に考えるのであれば、この「補強案」を受け入れられる筈はない。規制庁の審査担当官は「補強で十分なのか今後の審査会合で議論していきたい」と言っているが、忖度しない正しい判断を求める。
茨城県の大井川知事は「この状況でいまだに工期を変えないのは、地元に対して不誠実じゃないかと思う」と批判している。東海村の山田村長や30キロ圏内の自治体首長からも同様の批判の声があげられている。
こうした原電の姿勢は、福島第一原発事故を起こした東電の姿勢と類似している。原発事故の前に15メートルを超える津波が原発を襲うという資料が提示されていたのに、東電幹部はそれに対応せず握り潰した。理由は経費がかさむからである。その結果、福島第一原発事故という大事故を引き起こしてしまった。15メートルを超える津波に耐えられる防潮堤を造っていれば、事故は防げたのである。いくら経費がかかろうが、それが原発を動かす会社の最優先課題である。それをないがしろにしたために、福島の惨状が引き起こされた。福島だけではない。世界に影響する環境破壊がもたらされたのである。13年半も経った今も、廃炉への道は遠く、被ばく作業が続けられている。
造り直しを命じられても補強でしのぐ、そんな会社に原発を稼働させたら、福島の二の舞である。
危険な東海第二原発再稼働はあり得ない
原発はどれも危険だが、東海第二原発は最も危険な原発だといっても過言ではない。
被災原発
東日本大震災で被災した原発で、5.4メートルの津波に見舞われ、冷温停止に必要な外部電源と非常用電源の一部を失った。かろうじて深刻な事故は免れたが危機一髪だった。
老朽原発
1978年11月に運転開始、46年目の超老朽原発。
首都圏の原発
30キロ圏内に94万人が居住、150キロ圏内首都圏に4000万人が居住。事故が起きても避難など不可能。
2012年7月に地元住民224人が水戸地裁に起こした裁判で、2021年3月18日、水戸地裁判決は、「避難計画やそれを実行する体制が整えられているというには程遠い状態で、防災体制は極めて不十分」とし、運転差し止めを命じた。本来ならこれで再稼働をあきらめるところだが、原電が控訴したため、再稼働の計画が進められてきたのだ。
東電も原電も安全軽視で利潤追求が会社の体質である。事故を起こしても国が支援してくれる、電気料金に上乗せして乗り切る、こうした考えが透けて見える。
福島の被害者の苦しみは今も続いている。被ばくによる健康被害、故郷を奪われた喪失感、経済的な打撃など、何も解決していないのである。二度と惨事をくり返さないためには、原発からの撤退、すべての原発を廃炉にする以外にないのである。 (沢)
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2024.08.14
日本新聞
敗戦から79年、戦争への動きに歯止めを
4582号1面記事
敗戦から79年、戦争への動きに歯止めを
不戦の憲法9条投げ捨て、解釈改憲で攻撃できる国にし、軍事費倍増、
南西諸島の軍事要塞化。戦争に向かうすべての動きを止める運動を
8月15日は79回目の敗戦の日である。79年前の8月15日、天皇の玉音放送が流され、敗戦が知らされた。
すでに戦況は厳しく、日本の敗戦は明らかであったにもかかわらず、いたずらに戦闘を続けたために、多くの犠牲者を出した。1943年10月21日、神宮外苑競技場で学徒出陣壮行会が行われ、未来ある学生たちが戦場に送り出された。空で命を散らす特攻作戦、海で命を散らす潜水艦回転など、若者たちは死に向かう実に苦しい闘いを強いられた。
1945年3月のアメリカのB29による東京大空襲では、一晩で10万人もの命が奪われた。唯一地上戦を強いられた沖縄戦では、県民4人に1人が犠牲となる大惨事となった。そして1945年8月6日、広島に、9日、長崎にアメリカによる原爆投下が行われ、その年のうちに広島で14万人、長崎で7万人が犠牲となった。その後も今日に至るまで、原爆症で亡くなったり、被爆の後遺症で苦しみ続けている。
天皇をはじめとした上層部が、早期に敗戦を認め降伏していれば、犠牲を最小限にとどめることができたのである。
そして日本の侵略戦争、植民地支配で、アジアの人々2000万人以上の尊い命が奪われたのである。ところが日本政府はアジアの国々に謝罪するどころか、“南京虐殺はなかった”とか、“慰安婦は民間がやったものだ”と、実際にやったことさえなかったことにしようとしている。
このような誠意のない姿勢は、国際社会から非難の的となっている。政府は加害の実際を認め、真摯に謝罪しなければならない。
戦争に向かうすべての政策にストップを
過去の加害の事実を認めず、日本はどこに向かっているのか。それが一番大事なことである。
日本には憲法9条がある。戦争は日本の310万人にのぼる尊い命をも奪った。二度と戦争をくり返すまい、という強い思いで制定された憲法9条である。不戦を明記し、戦力をもたないことを宣言している。
ところが今、日本が向かっているのは何か。憲法9条に真っ向から反対の軍備増強である。自民党は憲法9条をそのままにしておいて、自衛隊を明記すると言っている。実に姑息なやり方である。後から決めた法律が優先するというのを使って、自衛隊を明記することで、戦力不保持を投げ捨てるやり方である。
さらに、今やっているのは、改憲の手続きを何も踏まず、戦争に向かうやり方である。安倍政権時、解釈改憲で集団的自衛権の行使もあり得ると閣議決定した。そして安保関連法の強行採決。戦争法を一括して採択する無謀極まりないものだ。更に岸田政権は安保3文書で、相手のミサイル発射拠点をたたく反撃能力(反撃ではなく攻撃)、軍事費をGDP比2%に倍増する方針を閣議決定した。
このような国の在り方を変える重大なことを、国会審議ではなく閣議決定で決めてしまう。全く民主主義のかけらも存在しない。
今、沖縄を含む南西諸島には、次々自衛隊のミサイル基地が造られ、軍事演習が行われている。自衛隊とその家族が島に移り住み、島のことを決めるにも自衛隊の発言権が大きく、島民の声が反映されないようになっていく。
「台湾有事」をアメリカが宣伝し、政府はアメリカの意向に沿って、南西諸島を軍事要塞化している。島から中国に向けてミサイルを配備する、自衛隊を配備する、それが有事を作りだすことにつながる。米軍が島からミサイルを撃って、自衛隊が引き継ぐ。アメリカはもともと、アジア人同士戦わせる作戦なのである。
敗戦から79年、今、平和と逆行するすべての動きに歯止めをかける運動が求められている。
(沢)
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2024.08.07
日本新聞
世界遺産認定巡り加害の歴史を消す政府
4581号1面記事
世界遺産認定巡り加害の歴史を消す政府
佐渡金山で朝鮮人が強制労働させられた事実を認めない日本政府。日本と合意し、市民から非難される
韓国政府。加害の歴史は消せない
佐渡金山が世界遺産に認定されたが、大きな問題が残っている。経緯は次の通り。
2010年
国内推薦候補の暫定リスト入り
2021年12月
文化審議会が国内推薦候補に選定。韓国は撤回を要求
2022年1月
政府は推薦見送り方針。自民党内から反発
2022年2月
政府はユネスコに推薦。ユネスコが推薦書の不備を指摘
2023年1月
ユネスコに推薦書再提出
2024年6月
ユネスコが諮問機関による「情報照会」勧告を通知
2024年7月
世界遺産委員会で審査、世界文化遺産に登録決定
日本のマスコミは「日韓 資料の展示で妥結」とか「日韓新時代」などと持ち上げている。
しかし、真相は全く違う。
韓国は昨年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会の委員国に推薦された。世界遺産登録の決定は、21カ国の委員国全会一致が基本原則である。韓国の合意がなければ登録は不可能だ。
日韓の最大の争点は、朝鮮人の強制労働を認めるか否かであった。ところが日本政府は「条約上の『強制労働』には」該当しない」という見解を変えない。しかしこのままでは登録されない。そこで、「朝鮮半島出身者を含むすべての労働者が過酷な環境にあったことを、詳細に展示、説明する」とし、「現地施設において、新たな展示物を展示した」とアピールしたのである。
これに対して韓国政府代表は、「登録決定前に日本が展示資料を設置したことは、過去の約束を履行していないという韓国国内の懸念を取り除くものであり、歓迎する」と応じたのである。
これは韓国の市民が納得できるものではない。ハンギョレ新聞は社説で「日本政府は、韓日間での最大の争点である『朝鮮人強制動員』の強制性については全く認めなかった。2015年の端島(軍艦島)の時より大きく後退している。尹政権は一体誰のための政権なのか」と厳しく批判している。
侵略戦争の加害の歴史を認めてこそ友好・連帯の道に進むことができる
2015年の長崎県の端島(軍艦島)などからなる「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の時、日本は「意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」と認め、「犠牲者を記憶にとどめるために適切な対応を取る」と表明したが、「虐待や差別はなかった」と言う元島民の証言を紹介している。このため、韓国国内では「日本は約束を履行しなかった」という大きな反発が巻き起こった。
今また、侵略戦争時の植民地支配、強制連行強制労働の歴史を認めようとしない日本政府に憤りを抱くのは当然のことである。
ハンギョレ新聞は日本の市民が強制動員を明らかにしたと、佐渡島の称光寺の住職・林さんの活動を紹介している。
――林さんは1991年8月に佐渡鉱山の朝鮮人の煙草配給名簿を確保した。1944年~1945年の太平洋戦争時に三菱鉱業佐渡鉱業所が作成した名簿である。その名簿には400人あまりの朝鮮人の名前、生年月日など記されていた。林さんは3度にわたって韓国を訪れ、被害者を探し出した。被害者から、「逃げて捕まった人が殴られるのを見た」「地元で割り当てがあると言われて佐渡に連れてこられた」「いつも腹がすいていた」などの証言を得た。
日本政府や警察が作った公文書、新潟県の文献にも、太平洋戦争が始まると、金だけでなく戦争に必要な銅や、亜鉛、鉛などが採掘され、1500人あまりの朝鮮人労働者が動員されたと記されている。新潟県の文献には「1939年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」と明記している――
侵略戦争時の日本の加害の事実は決して消すことは出来ない。加害を認め、謝罪し、そこからアジアの国々との友好・連帯へと進んでいける。加害を認めず、軍事費を増やす政策は、平和と逆行する道である。
(沢)