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2025.06.11
日本新聞
農家への所得補償がコメ問題の解決
4624号1面記事
農家への所得補償がコメ問題の解決
小泉農相の備蓄米随意契約、30万トンだけ低価格販売は解決にならない。生産者が見通しをもってコメを作れる具体策を打ち出すべき
江藤農水相(当時)が消費者のことを何も考えない問題発言をして更迭になった。新農相となった小泉進次郎農相は備蓄米の随意契約を開始し、5キロ2000円で備蓄米が店頭に並ぶと明言した。政府が放出する備蓄米は2022年産米が20万トン、2021年産米が10万トン。5月29日時点で22万トン61社が確定した。1回の引き渡し量の裁定が10トンか12トンであり、精米設備を持っていなければならないことから、小さな米穀店には手が出ない。対象はあくまで大手企業に限られる。残りの8万トンは、“不公平感を拭い去るため”として、スーパー6万トン、米穀店2万トンの枠を設定すると言うが、それでも対象は絞られる。
備蓄米の随意契約では解決にならない
政府の備蓄米は100万トンだというが、これは年間必要量の1.5か月分にすぎない。全部放出したとしても焼け石に水であるが、そのうち30万トンの放出で解決は見えない。備蓄米を放出してしまったら、食糧危機にどう備えるのか。
小泉農相は“消費者目線で”などと言っているが、すぐになくなる安価な備蓄米放出では先が見えている。生産者のことを真剣に考えるべきである。
日本の農家は先祖代々引き継がれてきた農地を大切に守り続けてきた。減反や転作奨励などで振り回されて苦しい目にあわされながらも、食料供給の責任があると、米を作り続けてきた。長い間の米価引き下げで、米作りでは生きられない中も、兼業しながら米作りを続けてきたのが今の米農家である。
こうした生産農家に所得補償をし、米価を安定させて消費者が安価な米を買うことができるようにする、これが唯一の解決策である。石破首相は「所得補償を考えていないわけではない。努力している農家には補償したいが、やみくもに行うわけにはいかない。精査しなければならない」と言っている。この最悪の農政の中で、努力しないで農業を続けられるわけがない。努力していない農家など存在しない。
政府は大規模農家だけ残して、更なる大規模化を行うことが農業改革だと言っている。ドローンやヘリコプターで農薬をまく農業だ。これは日本の国土の現状を全く無視している。日本は山間地や狭い土地が多く、大規模農業ができるのは農地のせいぜい3分の1である。残りは家族農業など小農が守ってきた。それをつぶしてしまって、3分の1の土地で日本の食料をまかなうことができないのははっきりしている。
世界では小農が中心の農業こそが、生き残る農業だと確認されている。2018年12月、国連総会は国連宣言(小農権利宣言)を121か国の賛成多数で採択した。日本は棄権している。小農が守ってきた日本の農業の実態を全く無視した姿勢であり、日本の農業を壊滅させる方向が見える。
今日の米農家、酪農家、野菜農家など全ての農家の苦境は、農家の実態を見ようともしない政治が根源である。
今、米価が上がったといっても30年前に戻ったにすぎない。そして上がった米価が農家の所得に反映されているかと言うと、決してそうではない。
農村で農家が安心して暮らせる補償があれば、農村に産業がよみがえり若者の職も生まれる。現在のような東京、大阪などの大都市に人口が集中する状態では、一気に食料危機に直面するのは避けられない。日本が生き延びるためには政治の大改革が必要不可欠である。
今日のコメ問題の解決は農家への所得補償なしには不可能である。そのために必要な額は4000億円、軍事費60兆円をやめれば、ただちに実現可能だ。 (沢)
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2025.06.04
日本新聞
狭山事件の再審を求める市民集会に全国から結集
4623号1面記事
狭山事件の再審を求める市民集会に全国から結集
「石川一雄さん追悼!第4次再審闘争勝利!東京高裁は再審開始を!」
狭山差別裁判闘争はすべての差別反対、すべてのえん罪晴らす闘い
5月23日、「狭山事件の再審を求める市民集会」が開催され、日比谷野音に全国から差別反対の思いでかけつけた。去る3月11日、石川一雄さんは急逝された。殺人犯のえん罪を着せられ62年、人生を奪われたといっても過言ではない。しかし、石川さんは屈せずに差別反対を闘い抜いた。
石川さんの遺志を継いで、早智子さんがすぐさま第4次再審請求した。今集会は第4次再審のスタートとなる集会だ。
開会のあいさつで西島・部落解放同盟中央本部委員長は「いよいよ証人尋問が始まるのではという強い思いをもって望んでいた中での石川さんの死は、残念無念だ。これを乗り越え、第4次再審勝利を一刻も早く石川さんに届けたい。新100万人署名を全国的に強化し、できるだけ短期間に100万人署名を達成し、世論を動かす原動力にしたい。同時に今国会で再審法の改正をかち取っていかなければならない」と訴えた。
作家の落合恵子さんは「私は敗戦の年に生まれた。これを必然として生きてきた。そしてこの国で差別される側の母の娘だ。誰かが自分の努力でどうにもならないことで差別されているのを見たら、それは私の痛みだと生きてきた。石川さんの苦しみを一人の苦しみ、一人の悔しさにしてはならない。ボブ・ディランが“罪人とは、間違ったものを目にして、それが間違っていることに気づいたにもかかわらず、それから目をそらしてしまうことだ”と言った。本当にそうだと思う」と語った。
社民党の福島みずほ参議院議員は「今国会で再審法改正を何としても実現したい。一つは証拠開示、もう一つは検察官不服申し立ての禁止。今国会で何としても再審法の改正をしたい」と決意を述べた。
「生き抜いて無罪判決をかち取る」と早智子さん
早智子さんは悲しみを胸に、それを乗り越え闘う思いを語った。最初に石川さんが書き残した短歌を詠んだ。
● 権力にごまする司法聞こえるか/絶叫するわれの声が
● 真相は心の目では見えずとも/科学の進歩を重視されたし
● うぐいすが四季を問わずに泣き続け/無罪明白再審しろと
そしてこう語った。
「私は今、78歳です。なんとしても生き抜いて無罪判決をかち取りたい。一雄に今もかかっている見えない手錠をはずしたい。今の再審法では再審開始決定をかち取っても、再審もない。検察の上訴でいつまでかかるかわからない。検察は無実な人をどこまでも追いかけ、無罪判決を否定する。石川の無念と苦しみを二度と繰り返させないでください。苦しい人生の中でも一雄は「生まれ変わったらまたこの村に」と詠んでいる。
次の世もうまれしわれはこの村に/兄弟姉妹と差別根絶
彼は苦しい人生ではあったけれど、皆さんからこんなに支援され、愛され続けてきた。彼の人生は決して不幸ではなかった」と心に迫る言葉だった。
1972年から人生をかけて狭山事件の弁護を続けてきた中山弁護士が、車いすでかけつけた。
「1972年10月に石川さんから手紙をもらった。“自分は部落差別の中で教育を受けられなかったことに対しては恨まないが、教育を受けれなかった者に対する国家権力の冷酷さが許せない”と書いてあった。この言葉が私の弁護士としての原点となり、狭山弁護団で活動してきた。石川さんの無罪を求める闘いの根底には、部落差別にたいする人間的怒りと仲間への連帯の心情があった。狭山事件は部落差別に基づくえん罪事件であることを何としても認めさせなければならない」と力強く訴えた。
足利事件の菅家さんをはじめ、えん罪事件の被害者の方々から「狭山再審をともに闘う」と連帯のあいさつが続いた。
日弁連再審法改正推進室長の鴨志田祐美さんから、経過報告があった。
「再審法改正は今、手が届くところにきている。昨年3月、全部の政党がメンバーとなった超党派の再審法改正をめざす国会議員連盟が立ち上がった。今年5月8日現在で議連のメンバーは386名、国会議員は約700名なので過半数を超えている。去年の秋ぐらいから法案作りを始めて、いよいよ国会に上程する改正法案を作る最終段階に差し掛かっている。証拠開示についての命令、再審開始決定が出たら検察官の不服申し立ては一切認めない、有罪判決をした裁判官はその後の再審には関われない等々盛り込まれている。
ところが、議連の法案を出すためには、各議連のメンバーが所属している政党が承認しなければならない。問題なのは自民党。“法制審議会にきちんと諮問して、内閣提出法案で出さなければダメ”という自民党議員も出てきている。法制審に任せていたら、何年経っても法改正は実現しない。国会がんばれと応援しよう」と呼びかけた。
袴田事件では、再審決定に対して検察が抗告、その後、再審開始まで9年もかかったのである。人権侵害もはなはだしい。
石川早智子さんと連帯して、狭山第4次再審請求を闘い、再審をかち取り、石川さんの無罪をかち取ろう。狭山の闘いは石川さん一人の闘いではない。すべてのえん罪を晴らす闘いであり、すべての差別反対の闘いである。 (沢)