-
2025.07.02
日本新聞
駐日中国大使館主催 「歴史を銘記し平和を守る」記念レセプション開催
4628号3面ルポルタージュ
駐日中国大使館主催
「歴史を銘記し平和を守る」記念レセプション開催
日本の侵略の歴史を認めることが日中友好の第一歩
6月25日、駐日中国大使館主催で「歴史を銘記し平和を守る」記念レセプションが開催され、30余りの団体、300名以上が参加した。緑の党も招待され、5月に訪中した若者たちも参加した。
近隣諸国と共に発展する中国が世界の要
吴江浩・中華人民共和国駐日本国特命大使から挨拶があった。
冒頭に「中国人民抗日戦争、世界の反ファシズム戦争勝利80周年を共に記念する。これは歴史を銘記し、平和を大切にし、未来を切り拓くための集会です。当時、日本軍国主義は侵略戦争を発動し、中国及びアジア各国民に対し、残虐な罪を犯し深刻な災難をもたらしたが、日本国民もその害を深く受けた。私たちは一貫して戦争の罪責は少数の軍国主義軍人にあり、日本国民にはないと主張している。
私達は平和を愛する日本国民とともに、侵略の歴史を歪曲、美化、否認する、あらゆる誤った言行に対し断固として抗争し、共に歴史の真相を守り、平和を代々伝承させていく」と語ったように、侵略の歴史を認めることが日中友好の第一歩であり、世界の平和を構築する道である。
最後に「80周年を新たな出発点とし、平和友好の初心を堅持し、中日関係の改善、発展のため、両国人民の友好の為、平和、繁栄のため、共に努力していきましょう」と述べた。
世界の平和を願う中国の一貫した姿勢が示された。
徳島から97歳の元木光子さんがかけつけた。元木さんは戦時中、中国東北民主連軍に所属し、看護師として中国兵士を救助し、1950年代、日本に帰国後、徳島県日中友好協会創立など、中日友好運動に貢献してきた方である。高齢を押して、何としてもこの集会に参加したいという願いが実現して嬉しいと、力強く語っていた。
広範な国民連合代表世話人・羽場久美子さんは次のように語った。
「昨年、被団協がノーベル平和賞を受けたことを踏まえ、また、私自身、広島の被爆2世として、日本が二度と近隣国に対し戦争を行わないこと、日本が国連の核廃絶禁止大会に参加し、核廃絶を目指して率先して平和の為に努力することを深く誓いたい。
1、戦後80年、日清戦争から始まる植民地戦争の130年を深く反省し、謝罪したい
2、市民と自治体の力で、中国と共に平和を築いていきたい
今、大きな転換点、アジアの時代が到来している。中国をはじめとするBRICS諸国、グローバルサウスが大きく成長している。世界の多くの国々が植民地と貧困や飢えから脱し、貧しい近隣諸国との共同発展が実現されようとしている。欧米の時代はゆっくり終焉を迎えようとしている。
2030年には中国は名目GDPでもアメリカを抜く。2050年2060年にはインドがそれに続く。中国をはじめとするBRICS諸国が素晴らしいのは、派遣を求めず、貧しい近隣諸国への支援と投資、連帯と共存によって共に発展していこうとする姿勢だ。典型的なのが一帯一路政策。壮大な経済発展と貧困撲滅の政策。
次に重要なことは、青年と共に市民と共に自治体と共に未来を切り拓くこと。中国はその経済成長と大国化を、覇権と戦争によってではなく、平和と共存発展、特に若者たちの教育とIT、AI教育、文明化によって実現しようとしてきた。
日本の中国に対する警戒の風潮は残念ながら消えていない。
しかし日中友好協会や自治体の協力、青年間の交流によって、若者から、自治体から日中不再戦の動きが、沖縄をはじめとして広がっている。世界の中でアジアから新しい平和をつくっていく、世界の発展をリードしていくことを、みなさんとともに誓いたい」と実に明解に語った。
紫金草合唱団による「紫金草物語」は歌で、過ちを繰り返すまい、平和の紫金草を咲かせようとドラマチックに歌いあげ、感動を呼んだ。
侵略の歴史を直視し平和友好の道を
食事会の最後に各団体からのあいさつがあった。緑の党・對馬テツ子党首は「5月、訪中した。戦後80年を迎えた今、日本軍国主義が中国大陸を侵略した歴史をたどる学習をしてきた。訪中に参加した若者は日本軍国主義の蛮行に対して、衝撃を受けていた。日本の歴史教育は加害の事実を教えない。三光作戦や細菌戦などの歴史をみつめ、若者の感性で“絶対、人殺しをしたくない。こんな過ちを繰り返したくない”と、怒りを込めて話していた。日本の中では加害の歴史を歪曲したりして、なかなか真実を伝えようとしない。私たちは若者と共に、侵略の歴史を直視し、過ちを繰り返さないために、これからも若者たちと共に訪中し、勉強していきたいと思っている。訪中の中で私たちが励まされたのは、撫順戦犯管理所の見学だった。日本の戦犯が中国の暖かい処遇の中で、鬼から人間によみがえり、死刑になることもなかった。撫順戦犯管理所の行いは世界にも類例のないことだ。自分の生き様を自分に問い、悲惨な歴史を繰り返さない、そんな生き方を日本に帰って行った。この中国の方針があったからこそ、今日の中国の発展がある。
日本が敗戦の時、残留孤児が飢えて、病で次々亡くなった。しかし、敵国の子どもを中国の養父母は育ててくれた。訪中の中でもそれを学び、中国の深い愛を感じてきた。
中国は今、経済的にも平和的にも、大きく世界をリードしている。
私達日本はどうしていくのか。『台湾有事』に煽られて戦争する国に向かっているが、それには未来がない。何としても日中平和友好条約を堅持し、不再戦、平和友好の道を、手をたずさえて進んでいこう」と堂々と訴えた。
世界の平和の為に、貧しい国々と共に発展する道を歩む中国と、その中国に向けミサイル基地を造り軍備増強する日本。侵略の歴史をもなかったことにしようとする日本。
今、日本が平和に向かって大きく舵を切る時、そのために団結して運動を進めることが必要だと痛感させられた。 (桐)
-
2025.07.02
日本新聞
福島の小児甲状腺がん 原因は原発事故による被ばく
4628号1面記事
福島の小児甲状腺がん
原因は原発事故による被ばく
311子ども甲状腺がん裁判第14回口頭弁論開催。原発事故当時、小6の女性が原告に参加。東電の論拠すり替え、ごまかしは許されない
6月25日、東京地裁において「311子ども甲状腺がん裁判」第14回口頭弁論が行われた。
雨の中、86の傍聴席に対して160名がかけつけた。「原発事故は終ったんだ」「まだ被害のことを言っているのか」など、さまざまなバッシングを受けながらも、自らの甲状腺がん発症の原因を知りたいと闘う原告の青年達。その青年達と連帯、支援したいという思いでかけつけた人たち。なぜ被害者が責められなければならないのか。納得できることではない。
新たに訴訟に加わった女性の訴え
報告会では新たに訴訟に加わった原告8番さんの意見陳述が流された。原告8番さんは、原発事故当時小学6年生の少女だった。
「高校2年の時、甲状腺検査で2次検査が必要と言われた。死ぬかも、と思った。結果は悪性だった。手術した。大学生になった時、心が破たんした。原発事故後、感情を抑圧し続け、遂に壊れたと思う。幻聴、幻覚、錯乱状態など、激しい精神状態に悩まされた。幻聴などが6年続いた。
1年前、PTSDだと診断された。9年間苦しんできた精神疾患の原因が被災にあるとわかり、甲状腺がんに向き合おうとする中で、この裁判を知った。
大学進学を機に福島県外に引っ越すと、初対面の人に「震災、大丈夫だった?」と聞かれ、「大丈夫だった」と答えながら“私は大丈夫だったんだろうか”と思った。
この裁判のことを知って、甲状腺がんのことがなかったことにされようとしていることを知った。「取ってしまえば大丈夫」「原発事故の前からあった死なないがん」と言われ、異様に軽い雰囲気で検査と手術は進んだ。実際は事故の後にできたがんで、リンパ節転移などがあった。
この裁判は私にとって“大丈夫だった”という呪いを解いていく作業でもある。今私は“怖い!助けて!”と叫んでいる高校生の時の自分を助ける作業をしています」
呪いを説いていく作業――実に重い言葉だ。小さな違いはあるだろうが、福島の青年達が、事故の後にもこのような圧迫を受けていたことが示されている。
追い詰められて、潜在がんの定義を変えてきた東電
報告集会では裁判の状況が詳しく話された。
午前中の進行協議では、新規提訴の原告8番さんが次回期日から原告に組み入れられることが確認された。
最大の争点は、甲状腺がんの罹患の原因が原発事故によるものだということ。
福島県立医大の鈴木眞一医師は、「たくさんの甲状腺がんが発見された。手術は適正だった」と言いながら「被ばくとは関係ない」と苦しい説明をしている。
今回、原告5番さんの30ページに及ぶ準備書面を一緒に作成した古川弁護士は、「被ばくの量の問題ではなく、どこでどう被ばくしたかが大事。2011年3月15日、放射性プルームで放射線量がグーンと上がった。お母さんに職場の後片付けに連れていかれ、帰りに被ばくした。自宅も古い家で壁がひび割れして、部屋の窓が閉まらなくなって、風がビュービュー入ってきた。1回目に右切除、2回目に左切除し、今、再発が確認されている。手術した後、もう一度開くのは大変なことなので、経過観察せざるを得ない状況。精神的にも大きな影響を受けている。ストレスも大きい。覚えてないことが多い。乖離性健忘と診断されている。また、フラッシュフォワード、将来に対する不安に怯えている。将来の不安を抱えて生きていかなければならない状況だ」と語った。
井戸弁護団長は「東電は『これまで、福島の子ども達の甲状腺がんは潜在がん。子どもは一定数、小さい時から甲状腺がんを持っている。そのがんは悪さをしない。放っておけば無くなる。手術した福島の子ども達300人以上は、手術しなくても良かった』と言っていた。ところが杉谷医師の“被ばくとの因果関係はない。しかし手術は相当”という論を採用し、潜在がんの定義を変えてきた。つまり“潜在がんは、生涯、症状が発見されずに終えたかもしれないがん”。これではすべてのがんが潜在がんになる。裁判所は東電に“潜在がんの定義をはっきりするよう”申し渡した。東電は追い込まれている」と更なる支援を訴えた。
被ばくにより甲状腺がんを発症し、身体的にも精神的にも追い詰められてきた原告達の苦悩は計り知れない。国と東電は被害の苦しみを認め、謝罪し、早急に補償しなければならない。
311子ども甲状腺がん裁判のスタッフとして、高校生や大学生の参加が増えていたことに希望の光が見えた。 (沢)