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2025.08.13
日本新聞
敗戦後80年、平和への道に踏み出そう
4634号1面記事
敗戦後80年、平和への道に踏み出そう
アメリカの戦略下で「台湾有事」を作り出そうと軍事基地化を進める政府。
軍備増強ではなく平和外交で世界の平和を築く日本への転換を
8月15日、日本は敗戦から80年を迎える。80年前、二度と戦争をしないという思いで、日本国憲法が作られた。人間らしい生活を保障しようと基本的人権の尊重、不戦、戦力不保持を明記した憲法9条。
日本はここから平和への道を歩むと思われたが、今日の日本の状況は全く違う。憲法は守るべきものではなく、掲げる看板に過ぎないものと化している。
「台湾有事」は作られたもの
戦力を持たないと憲法に明記されているが、自衛隊があり、軍備増強が行われている。専守防衛の原則が、解釈改憲で「敵基地攻撃能力」まで有することが閣議決定された。2015年の安保関連法案強行可決に至って、戦争法が制定されてしまった。
もともと「台湾有事」はアメリカが喧伝したものである。台湾は中国の一部であり、台湾の人々の8割以上が「独立」ではなく現状を望んでいる。それをアメリカがあたかも台湾の人々が独立を望んでいるのを中国政府が弾圧していると、大宣伝した。「台湾有事」が起こり、日本にも危険が及ぶという宣伝である。
中国はすでにGDPで実質アメリカを抜いている。だからアメリカは今のうちに中国を抑えつけておきたい、そのために日本と戦わせようとしているのである。日本はまんまとアメリカの戦略に乗り、日本の若者の命を奪う愚策を再び繰り返そうとしている。
南西諸島は次々ミサイル基地化されている。避難の為だとシェルターが造られ、避難訓練まで行われている。実際に戦闘になれば、全く意味を為さないシェルターである。そして島民がどこの自治体に避難するかの計画まで発表している。
中国が台湾と戦争になって日本も攻撃される、その想定自体が間違っている。日本が軍備増強し、ミサイル基地を造り、中国に届く射程距離のミサイルを配備する、それが危険を作り出し、「有事」を引き起こすのである。
アジアの国々と力を合わせ世界の平和構築へ
日本は侵略戦争で中国や朝鮮をはじめアジアの国々に、残虐の限りを尽くした。そしてそうした加害の歴史に対して、日本政府は謝罪するどころか、認めることさえしない。
南京大虐殺、「慰安婦」、強制連行、強制労働などの史実を無かったことにしようとしている。
被害を受けた中国やスリランカなどは、日本が戦争の惨禍から立ち上がって、世界の平和の為に共に協力し合える国になるようにと、賠償請求権を放棄してくれた。(3面参照)ところが日本はそうした願いに応えるどころか、逆に、アメリカの要求に応え、アメリカの戦略の中で戦争に向かっているのである。
敗戦後80年、戦争を体験した世代が少なくなってきている。語り部も減っている。今私たちは戦争の加害の事実をしっかりと学び、認識し、二度と戦争しないという決意を新たにする時である。
80年前、沖縄では本土決戦を避けるために沖縄戦を強いられた。4人に一人が犠牲になるという悲惨な戦いであった。日本軍は沖縄の住民に「集団自決」を強い、肉親を殺す地獄絵が繰り広げられた。それさえ、軍の関与を否定し、「集団自決」の軍の関与を教科書から消すという暴挙に出た。今、再び沖縄が戦場にされようとしていることに、沖縄の人々は強い憤りを持ち、“沖縄を再び戦場にしない!”と声をあげている。
日本はアジアの国々と力を合わせて、発展していくように舵を切るべきである。そして平和への道は、加害の事実を認め、謝罪することから始まる。共に平和な世界を築くことが日本の唯一の活路である。 (沢)
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2025.08.06
日本新聞
米国の広島・長崎への原爆投下から80年
4633号1面記事
米国の広島・長崎への原爆投下から80年
投下したその年に広島で14万人、
長崎で7万人の犠牲者。東電福島第一原発事故被害を見ても核の平和利用などない。核のない世界を
1945年、今から80年前の8月6日広島へ、9日長崎へ、アメリカは原爆を投下した。世界で初めて人が住む町へ原爆が投下されたのである。広島、長崎の街は廃墟と化し、被ばくした人々は次々亡くなっていった。その年のうちに広島で14万人、長崎で7万人が死亡した。
広島に投下されたのはリトルボーイ(ウラン型の原子爆弾)で、長崎に投下されたのはファットマン(プルトニウム型の原子爆弾)であった。アメリカはこの2種類の威力を試すために、2つの都市に落としたのである。そしてABCC(原爆傷害調査委員会)を設立し、日本にアメリカの科学者や医療関係者がやってきて資料を集めた。被爆者への治療より調査を優先したため、批判された。
広島県立第一中学校生の被害を見ると、原爆の被害の大きさがわかる。第一中学校1年生307人のうち半数の150人は、爆心地(原爆が投下された地点)から900メートルの屋外で作業をしていた。強烈な熱線で皮膚は焼けただれ、全身に致命的なやけどを負った。致死量の放射線が降り注いでいたため、生き残れた生徒は一人もいなかった。
残りの半数は、爆心地から900メートルの校舎で自習していた。爆風で木造の校舎は押しつぶされ、生徒たちはその下敷きになった。熱線で建物に火がつき、生徒たちは「お母さん」などと叫びながら死んでいった。数十人は脱出して家族のもとに帰ったが、1週間後に髪は抜け、歯ぐきから出血するなどの症状が現れた。全身で内出血が起こり、体中に斑点が生じ、腸の内部が崩れ、下血が始まる。生徒たちは衰弱し、亡くなっていった。19人が一命をとりとめたが、その後も苦しみは続いた。高校3年生で出血が止まらずに亡くなった人、大学4年で血液異常が起き、亡くなった人もいる。その後も次々亡くなっていった。被爆者の苦しみは一生の苦しみである。
原爆で行方不明になった人も多い。広島市の原爆供養塔には、引き取り手のない7万柱の遺骨が今も安置されている。
核のない平和な世界に
アメリカでは“戦争を終わらせるために、原爆投下は正しい選択だった”と答える人が、10年前には56%で、今では35%にまで減っている。被爆者の声に耳を傾け、その苦しい人生に寄り添い、核のない世界を求める声が高まった。それが被団協のノーベル平和賞受賞につながった。
ところが今日本政府は、アメリカに対して「もっと核の傘を強調してほしい」などと言っている。原爆を投下したアメリカに、核で脅してほしいと頼んでいるのである。これが被爆国の政府のやることか。
そして「核の平和利用」など不可能であることが、東電福島第一原発事故が明らかにした。事故による被ばくはもちろん、事故収束のために避けられない被ばく作業、それは今も続けられている。原発は事故がなくとも、日常的に放射性物質を環境中に放出している。ひとたび事故が起きれば、制御できない大惨事を引き起こす。
政府は福島第一原発事故に教訓を得ることもなく、“原発のエネルギーを最大限に活用する”エネルギー策を打ち出している。そのために、老朽原発の再稼働、ひいては新設へと動いている。原子力規制委員会が科学者集団ならば、原発から撤退するよう政府に訴えるべきである。ところが、“新規制基準”なるものに「合格」だと、再稼働のお墨付きを与え続けている。実に犯罪的だ。
原爆投下から80年、今日本は原発からの撤退へと大きく舵を切る時である。 (沢)