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2023.12.06
日本新聞
日本新聞 4546号記事 戦争のない沖縄、朝鮮半島を!
沖縄の軍事基地撤去、日朝国交正常化、朝鮮戦争の早期終結と平和条約締結。戦争ではなく、平和の道を構築するための行動を決意
11月24、25日の2日間、朝鮮統一支持運動第41回全国集会が沖縄教育福祉会館で開催された。
実行委員長の石川元平・元沖縄県教職員組合中央執行委員長は「琉球王国は、万国津梁といって、武器を持たず様々な国と交流して栄えた。ところが大和は、武器を持って沖縄を併合した。また、日米安保では、東京の空も米軍が握り、沖縄だけでなく全国が自由ではない。日本は主権国家でも独立国家でもない。今、決起しなければ、未来を切り拓けない」と語った。
徐忠彦・総連副議長は、「朝鮮と沖縄は、高麗末期から李王朝時代最も活発に交流したが、豊臣秀吉の朝鮮半島侵略と島津藩の沖縄侵略によって閉ざされた。その後も米国の外部勢力によって翻弄された。朝鮮戦争では、朝鮮民主主義人民共和国では人口の3分の1の300万人が、死傷した。朝鮮戦争停戦後も米国の核先制攻撃と侵略の脅威にさらされている。今年も米韓合同軍事演習が史上最大規模で行われている。バイデン政権は、アジア版NATOの創設企図、朝鮮有事の際、国連軍の再参戦を確認し、朝鮮有事を煽っている。岸田政権は、敵基地攻撃能力を保有し、米韓軍事訓練に参加し、集団的自衛権の発動と参戦の意志を行動で示している。朝鮮有事の際に必然的に日本は交戦国となり、最も打撃を受けるのが沖縄である。それを阻止するために、朝鮮半島の自主的平和統一、朝日関係の正常化が必要である。南北朝鮮と日本、米国と中国の民主パワーが熱く連帯し、反戦、平和を構築していこう」と訴えた。
この集会では、次の4点が確認され
①米韓軍事演習の中止を求める。
②朝鮮戦争の休戦協定の平和協定への転換を求める。
③日本政府に関東大震災の虐殺の真相を求める。
④沖縄も朝鮮半島も戦場にさせない。
被害や加害の地から平和の地へ
2日目の午前のフィールドワークでは、元参議院議員・糸数慶子さんの案内で、住民の8割が犠牲になった激戦区・前田高地(浦添城址)や読谷村のアジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者の「恨之碑」を見学した。
沖縄は沖縄戦で4人に一人が犠牲になり、その後米軍の銃剣とブルドーザーによる支配で、今日なお70%の米軍基地が置かれる被害の地である。しかし、日本の強制連行による朝鮮人軍夫や従軍慰安婦の悲劇は沖縄にも存在し、朝鮮戦争では嘉手納米軍基地をはじめとする日本の米軍基地から無差別爆撃を行った加害の地でもある。
今、再び沖縄がミサイル基地化されている中、沖縄の軍事基地化に反対し、11月23日、1万人が結集した県民平和集会が若い世代の力で開催された。
アメリカの凋落
午後は、国際シンポジウムが開催された。コリア国際平和フォーラムの共同代表柳炅完(リュ・ギョンワン)氏は「軍事、経済、政治の面からも米覇権の没落が際立ち、BRICS+60カ国が多極化新世界秩序を作っている。しかし、アメリカは依然として日米韓三角軍事同盟強化で危機を煽っている」と語った。
東洋学園大学客員教授朱建栄氏は「『台湾有事』はアメリカによるでっち上げだ。中国は平和統一を目指し、何よりも『2050年の全面的現代化』の実現を優先させている。アメリカは、自ら手を下さず、民族の分断・対立を激化させている」と訴えた。
また、芥川賞作家の目取真俊氏は「朝鮮の衛星でJアラートを真夜中にならし、戦争の危機と同時に中国の脅威も煽り、自衛隊の『島嶼防衛』が強化されている。しかし、軍隊は住民を守らない。税金は軍事費でなく、若者や子どもが希望を持てる社会にするために使うべきだ。沖縄は被害者にも加害者にもならない」と語った。
また、反戦反人権差別行動ANSAWER事務局長・ブライアン・ベッカー氏は「朝鮮やアジアの人々は米国の犠牲になった。今も、米国は軍産複合体と一緒になって朝鮮半島を挑発している。市民は反戦平和の闘いをこれからも訴えていく」と語った。
最後に、朝鮮大学学校教員の李英哲(リ・ヨンチョル)氏は「日本政府が植民地支配を清算しないために、関東大震災の真相究明も謝罪も補償も行われていない。だから、在日に対する差別が続く。歴史の共有と、悲劇の再発防止のため、民衆の出会い直し、学び直しをして、分断を断ち切り、連帯を作っていくことが重要である」と語っていた。
戦争のない沖縄や朝鮮半島を構築するために、連帯を築き、希望を抱くことのできる日本を、そして世界を作っていくために踏み出していこうと訴えた集会だった。 (對馬) -
2023.11.29
日本新聞
日本新聞 4545号記事 東電、3回目の汚染水の海洋投棄強行
東電、3回目の汚染水の海洋投棄強行
汚染水を処理水と偽り、危険性を隠す国と東電。トリチウムをはじめ62種もの放射性物質がタンクの7割で基準超え。海洋投棄は中止を
東電は11月20日に、汚染水の3回目の海洋投棄を完了したと発表した。2023年度中に4回の海洋投棄を実施するとしており、4回目は年明けに行う予定だという。8月24日から3回の投棄で約2万トンの汚染水が減ったというが、保管総量のわずか約1.5%だというのだから、延々と続ける計画である。しかも汚染水は毎日約90トンも増え続けているという。
政府も東電も「処理水」と呼んで、ALPS(多核種除去設備)で処理したから安全だというが、果たして処理されたのか。東電が投棄している「処理水」にはトリチウムが含まれている。トリチウムは飛距離も短く影響が少ないように言われるが、決してそうではない。体内に長くとどまり、近くの細胞に影響を与える。また、トリチウムが水素と置き換わった場合、被ばくの影響が強くなり、ヘリウムに壊変したときにDNAが破損するなどの影響が指摘されている。そしてトリチウムだけではなく、7割のタンクで62の放射性核種の濃度が全体として排出基準を上回っており、最大で基準の2万倍近くなっていると、東電は公表している。どうしてこのようなものを海に流していいのか。これは犯罪と言っても言い過ぎではない。
驚くべきことに、東電が放射性物質を測っているのは3つのタンク群だけである。タンクの水全体の3%にも満たない。これでは調べたことにならないではないか。
東電は、経費がかかるからと津波対策を行わず、2011年3月11日の東日本大震災で福島第一原発事故を引き起こした。そして今、海洋投棄ではなく、モルタル固化して半地下で保管する案、石油備蓄に使われている大型タンクに入れ替える案など代替案はあるのに、最も経費が安上がりで済む海洋投棄を強行しているのである。東電には原発事故の反省は全くない。
海洋投棄への国内外の批判高まる
2015年に国と東電は福島県漁連と「(ALPSを通した水は)関係者の理解なくして、いかなる処分もしない」という文書を交わした。県漁連は「海洋投棄はあくまでも反対だ」と一貫している。「関係者の理解なくして、いかなる処分もしない」は一体どうなったのか。交わした文書どおりなら、海洋投棄はできないはずだが強行している。関係者の意見を聞くどころか、全く無視している。
また、中国や韓国の市民団体、太平洋島しょ国も海洋投棄に反対している。中国は核汚染水の海洋投棄は世界の環境破壊だと指摘している。
岸田首相は16日の中国の習近平国家主席との会談で、「(海洋投棄を巡り)対話を通じて解決する方法を見出すことで一致した」と発表した。これが一致と言えるのか。中国の再三の反対を無視して日本は海洋投棄を強行している。そして、安全を危惧して、日本の海産物の輸入を禁止したことを、日本政府は怒っている。岸田首相は「あらゆる機会をとらえて、中国に日本産水産物の輸入規制撤廃を働きかける」と言うが、解決は海洋投棄を中止する以外にない。
福島第一原発事故という未曽有の過酷事故を引き起こし、今度はデブリに触れた汚染水を海に流しているのだから、国際世論の非難は当然のことである。
今、日本がやるべきことは、汚染水の海洋投棄を中止し、東海第二などの老朽原発の再稼働するのではなく、原発から撤退することである。 (沢) -
2023.11.22
日本新聞
日本新聞 4544号記事 東海第二原発再稼働許さない声響く
老朽原発の再稼働を止めようと日本教育会館に700名が結集。
心を打 つ被害者の叫び。嘘で固めた原発政策を暴き、原発からの撤退を!
11月18日、日本教育会館で「東海第二原発の再稼働を許さない!――首都圏大集会――」が開催され、700名が駆けつけた。
主催者を代表して、「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」の柳田さんからの、「原発を動かさなくても電気は足りてる。原発は事故を起こす。原発は廃止に。原発も戦争もやめよう」という呼びかけでスタートした。
東海第二原発再稼働 はあまりにも危険
小出裕章さんは、「嘘で固められた原子力 東海第二原発の再稼働」と題して、講演した。
――原子力に夢を持ち、その研究をした。その結果、“この機械(原子力)はダメだ。これを使うのは人間で、必ず事故が起きる”と考えた。
原発を一番多く造ったのは米国。しかし地震から逃れられる地域に造った。ヨーロッパも強い岩盤がある。日本は世界の地震の20%以上が起きる地震大国なのに、57基もの原発を造った。大間違いだ。2011年の東電福島第一原発で、心配していた事故は起きた。国も電力会社も“原発事故は起きない”と言いながら、心配だから過疎地に造った。事故が起きたら“想定外”。津波と地震に見舞われた災害弱者は、原発事故で“立ち入り禁止区域”に指定され、救助を待ちながら息絶えていった。15万人が強制避難、転々とさせられ、流浪化してしまう。自殺した人もいる。国は放射線管理区域に100万人を超える人々を棄ててしまった。
“子どもを守りたい”と自主避難した人は、生活が壊れ、家庭が崩壊し、心がつぶれてしまう。そういう人たちに国は“もう福島に帰れ。わがままを言うな”と公的住宅支援打ち切り。
国策で原発推進したのだから、国が最大の責任。原子力ムラ、いや原子力マフィアは、原発を造って大儲け。今度は除染で大儲け。今は福島浜通りにイノベーション産業復興だとまたまた儲けようとしている。私が原発事故から得た教訓は、原発は即刻全部やめろ。原子力マフィアが得た教訓は、何も責任を問われず大儲けできる。
国というものは嘘をつく。原子力緊急事態宣言は今も続いているのに。“電力がひっ迫している。二酸化炭素が地球温暖化の原因。脱炭素エネルギーのために原発が必要”みんな嘘だ。
東海第二の運転開始から45年。老朽原発の再稼働は特に危険だ。原子炉圧力容器の劣化は、炉内に試験片を設置し、それを取り出して点検する。しかし東海第二では試験片を使い果たし、劣化を評価できない。無数の部品も40年の寿命をもとに施工された。いつ事故が起きるかわからない。
東海第二は半径30キロ圏内に94万人が居住、150キロ圏内に首都圏がすっぽり入る。防潮堤の工事の欠陥も指摘されている。日本原電は新規制基準に対応する工事費用もない。それを東電が肩代わりする。東電を支援しているのは国。つまり私たちの税金で再稼働が行われる。何としても止めなければならない」――
避難者の鴨下美和さんは、避難指示が出なかったいわき市からの避難者であったために、ののしられたという。息子さんもひどいいじめにあった。いわき市も当時は毎時23マイクロシーベルトという高い線量だったが、測定されていない。いわき市は34万人の大都市。人口の多い所は測定されていない。そして、新幹線が通るところは測定しなかったのではないかと、鴨下さんは指摘する。「自主避難で支援もないので、夫はいわきに帰って仕事に戻った。子ども達みんなにおやつ代が渡された時、4歳の次男はそのお金を持ってきて、“これでお父さんも一緒に暮らせるね”と言った。4歳の子が生まれて初めて手にしたお金で買おうとしたのは、お父さんとの暮らしだったんです」という言葉は実に重い言葉だった。被ばくについて訴えると“風評加害者”と攻撃されるのもひどい。なぜ被害者が加害者扱いされなければならないのか。怒りがわく。
参加者は、運転開始から46年にもなる東海第二原発の再稼働を決して許さず、廃炉とすることを求めて、首都圏の市民と共に闘い続けると集会決議を採択し、神保町の街を「原発はいらない!」と声をあげて行進した。
東海第二原発をはじめ、すべての原発は廃炉に! (沢) -
2023.11.15
日本新聞
日本新聞 4543号記事 水俣病問題は終わっていない
経済成長を優先し、水俣病患者を切り捨て、チッソを守った政府。人命を奪い、自然を破壊し、生業を奪う公害の構図は原発と瓜二つだ
水俣フォーラム主催の水俣病・福岡展が10月7日~11月14日に開催された。改めて、水俣病とは何かについて考えるために11月2日、水俣展に参加し、3日は、水俣病が発症した熊本でも現地の相思社の方に案内していただいた。そして、今なお裁判を続ける胎児性水俣病患者のお話を聞く中で、水俣はまだ終わっていないことを痛切に感じた。
垂れ流しを放置し被害拡大
水俣病は、日本窒素肥料株式会社(後にチッソ株式会社、以下チッソとする)の工場排水のメチル水銀に汚染された魚介類を食べたことによって起きたメチル水銀中毒である。メチル水銀は耳かき半分ほどで人を殺す猛毒である。
体に入ったメチル水銀は脳神経を犯し、体の平衡感覚や知覚(触覚、視覚、聴覚)の部分が壊される。破壊された脳は治ることがない。
酢酸や塩化ビニール等の原料となるアセトアルデヒドを製造する時、副生されたのがメチル水銀である。
チッソがアセドアルデヒドを製造開始したのは1932年。それを排水溝からたれ流したために魚貝の宝庫である不知火海がメチル水銀に汚染された。
魚の死体が浮かび、猫が狂い死にし、人も発症した。狂ったような症状になり、意識不明になり、1カ月以内に亡くなる重傷者や、母親の胎内で、メチル水銀に侵されて生まれる胎児性水俣病患者も発生した。奇病、伝染病とされたが、脳の神経疾患として水俣病が公式確認されたのが、1956年(昭和31年)である。
1965年新潟県阿賀野川流域で、昭和電工の流したメチル水銀で水俣病が発生したことで、1968年、ようやく水俣病を公害病と認定した。その時工場の排水も停止した。実に36年間も放置したために、被害が拡大した。
チッソの垂れ流したメチル水銀の量は、1億人を2回殺してもなお余りがあるといわれている。
どうしてそれが許されたのかである。
チッソを守った政府
チッソは日本を代表する化学工業企業であった。戦後の日本の経済成長を支えた大黒柱の一つである。
1959年、熊本大は「原因はチッソ工場排水のメチル水銀」と公表したが、政府は、経済成長を止めるわけにいかないと、政府見解を先延ばしし、チッソを守った。
つまり、日本の経済成長のために、水俣病患者がどんなに死のうが、苦しもうが、経済成長を優先した。
そして、チッソも原因を認めず「戦前の海軍の爆薬が原因」とした。原因がわかってからも想定外とした。また、排水経路を百間排水溝から水俣湾に垂れ流すのを変えて、八幡プールから、不知火海に変更したために更に被害が拡大した。
また、1959年に患者に「見舞い契約」をし、水俣病を終わらせようとした。大人10万円、子ども3万円を渡し、チッソが原因だとわかっても、新たな補償を要求しない約束をさせた。汚い手口である。
そして悲しいことに、チッソ城下町である水俣では、患者に寄り添うのではなく、市長、市議会、商工会議所、農協、チッソ第二組合(第一組合は患者側に立ったが、つぶされてしまった)、地区労など総がかりで、患者に襲いかかり、チッソを守った。今でもその分断の傷跡は深い。「もやい」(つながり)を訴えても、なかなかうまくいかないという。
「今さえ、金さえ、自分さえよければいい」という考え方は、経済成長時代から作られてきたものである。
誰と手をつないでいくかの視点がなければ連帯はできない。
なぜ今も裁判が続くのか
水俣病患者は20万人以上と言われているが、22年時点で、認定患者は熊本県で1791人、鹿児島県で493人の計2284人のみである。それに新潟県716人を含めて3000人しかいない。
政府は、全汚染地域の住民健康調査を行わず、ひたすら認定患者の数を限定してチッソを守った。
ところが、患者は、極貧の中、病苦を抱えながら、生活や病気の補償を求めて裁判や座り込みでチッソと闘ってきた。1995年村山内閣が水俣病解決策として一時金260万円と医療補償をした。また、国の責任を認める判決が出て、2009年に水俣病特措法として一時金210万円と医療保障を行った。認定患者含めて、8万人が水俣病被害者となった。
しかし、「特措法」でも、地域や年代で区切られているために補償に漏れる人や医療保障だけでは生活できないので、認定患者のように年金で補償すべきであると裁判は続いている。
政府はチッソを優遇し、融資しているが、患者を守り、補償すべきである。
水俣湾は、埋め立てられ、公園として整備されたが、埋め立て地の下には高濃度の水銀へドロがある。
命を奪い傷つけ、自然を破壊し、生業を奪う公害と原発は全く同じ構図である。経済優先ではなく、命こそ大事にすべきである。 (對馬)