日本新聞
日本新聞 4564号記事 熊本地裁不当判決に水俣病訴訟原告控訴
144人の請求を棄却した熊本地裁判決は不当。原告128人全員を水俣病と認め賠償命じた大阪地裁判決。
国・熊本県はすべての被害者救済を
4月4日、水俣病特別措置法の救済対象外の143人が、請求を棄却した熊本地裁判決を不服として、福岡高裁に控訴した。原告は144人だが、1人は訴訟が長期化することで控訴しなかった。原告の平均年齢が76歳という中で、長い裁判に耐えられないという判断は無理もない。決して判決に納得したのではない。
原告144人は、水俣病特別措置法で救済対象外にされたことを不当とし、国や熊本県に損害賠償を求めて訴訟を起こした。3月22日、熊本地裁は原告のうち25人の水俣病罹患を認めながら、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間が過ぎたとして、請求を退けた。しかし、被害者は自分が水俣病であることすら、気づくまでに時間がかかった。原告の一人は「自分が水俣病だと知ったのは検診を受けた時だ。除斥という判断は許されない」と判決を批判した。
水俣病がチッソの流した排水が原因であることを知っていながら隠し通し、被害を拡大しておきながら、責任を取ろうともしない国と熊本県。原因不明の奇病とされ、水俣病患者が出た家は白い目で見られ、小さくなって生きらされた。現在に至るまで、理不尽な目に会わされ続けているのである。
同様の訴訟は全国4地裁で起こされている。昨年9月の大阪地裁判決は、原告128人全員を水俣病と認め、賠償を命じた。今回はそれとは正反対の不当判決である。4月18日の新潟地裁判決への影響が心配される。
水俣病の本質は何か
1956年5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料水俣工場附属病院の細川病院長が、水俣保健所に患者の発生を報告し、公式に水俣病が確認された。原因はチッソが無処理で垂れ流していたメチル水銀を含む工場排水である。のちに細川病院長が「工場の排水をかけた餌や水俣湾の魚をネコに与える実験をして、水俣病が確認された。工場幹部に伝えたが公表されず、実験は一時中止に追い込まれた」と証言している。しかし、チッソが排水を流していたのは1932年の操業開始時からである。
1952年 胎児性水俣病患者出生、認定は20年後
1953年 ネコが狂い死にし、水俣湾に魚が浮く
1954年 患者12人発生
1956年 「原因不明の奇病」として水俣病公表
1964年 東大医学部の白木教授が「水俣病の原因物質はメチル水銀化合物」と確定する論文発表
1965年 新潟大学の椿教授と植木教授が「原因不明の水銀中毒患者が阿賀野川下流沿岸部落に散発」と新潟県庁に報 告.新潟水俣病公式確認
1968年 厚生省が水俣病とメチル水銀化合物との因果関係を公式認定
1968年 チッソ水俣工場はアセトアルデヒドの製造停止
1956年の水俣病公式発表から12年も、チッソは水俣病の原因である工場排水を流し続けていたのである。もっと言えば、1932年の操業開始から36年間も流し続けたのだ。一体どれだけの人が犠牲になったのか。工場排水を流すのをやめれば、患者が増えることもなかった。新潟の犠牲者を出すこともなかったのだ。
企業の犯罪なのに、政府は企業の利益を守り、住民の命を守らない。政府がすぐに原因を究明し、対処を命じていたら、被害をいたずらに拡大することはなかった。日本という国は、被害を受けた側が小さくなって生きらされる間違った社会である。原発事故で被ばくした人が、そのことを訴えれば非難される、実に理不尽だ。
これをたださなければならない。水俣病の問題も、すべての被害者の救済をかち取るまで終わらないのである。(沢)