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2024.01.31

日本新聞

日本新聞 4554号記事 「群馬の森」朝鮮人追悼碑の撤去やめよ

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群馬県が近く代執行で碑を撤去する方針。朝鮮人を強制連行、強制労働で命をも奪ったのは事実。碑の存続で多くの人に歴史を知らせよう

 群馬県高崎市に県立公園「群馬の森」がある。その一角に朝鮮人追悼碑がある。かつて日本は朝鮮半島を植民地支配した。第二次世界大戦中は労働力の不足を補うために、朝鮮人を強制連行し強制労働させた。炭鉱や工事現場で、ろくな食事も与えず、長時間、過酷な労働を強いた。その労働の中で衰弱して亡くなった人、逃げようとして捕まって殺された人などの霊を悼んで、「建てる会」が追悼碑を建てたのである。
 県は追悼碑を認めておきながら、「政治的な集会を行った」「『強制連行』という言葉を使った」と難癖をつけ、追悼碑を撤去すると脅かし続けてきた。群馬県知事は「近く追悼碑を撤去する方針だ」と明言し、いつ代執行するかわからない、緊迫した状況である。自主撤去しないなら強制的に代執行する、というのである。
 これは、日本の植民地支配、戦時中の加害の事実を認めず消し去ろうとする日本政府と同じ姿勢である。やったことは消えない。それを認めた上で初めて、平和友好という次の段階に進めるのである。

 アジアの国々に謝罪し、友好への道へ

 群馬県内には、群馬鉄山などの鉱山や軍需工場がたくさんあり、朝鮮半島から連行されてきて働かされていた。中国人捕虜もいた。その人数は公的には残されていない。しかし、間組百年史に、沼田市にあった日発岩本発電所で、連行されてきた1000人の朝鮮人と600人余りの中国人捕虜が働かされていたことが記録されている。
 市民団体「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」は追悼碑建立について、群馬県知事に要望書を提出し、県議会は全会一致で主旨を採択した。こうして2004年3月に「群馬の森」に「記憶 反省 そして友好」の追悼碑ができたのである。
 碑には次のように記してある。

「21世紀を迎えたいま、私たちは、かつて我が国が朝鮮人に対し、多大な損害を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を心から建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである」
 強制連行という言葉を入れたら、「強制連行という用語を政府は認知していない」とクレームが付き、やむなく“労務動員”に変えた。それでも市民の目につく場に碑を建てたほうがいいと考えたからである。
 ところが、2014年7月、県は10年間の設置期間の更新を認めず、撤去するよう突然通知してきた。「碑文が反日的だ」と撤去を求める団体による大音量による街宣、県庁に押し掛けるなどがあり、県は「碑文が紛争の原因」と撤去を命じた。そして自主撤去に応じないなら代執行に出るという姿勢を明らかにしたのである。
 「記憶 反省 そして友好」日本の加害の事実をしっかり認め、その実際を広め、二度と繰り返さない反戦の運動を繰り広げる、そこからアジアの国々との友好を深め、平和を築いていこうという大切な言葉である。
 日本はアジアの一員として地域の平和のために、アジアの国々と力を合わせていくことである。アジアの盟主になろうと他国を弾圧した歴史を、二度と繰り返さないためにも、朝鮮人追悼碑は撤去させてはならない。      (沢)