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2023.02.08

日本新聞

日本新聞 4502号記事 311子ども甲状腺がん

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 第4回口頭弁論 被曝の事実を明らかにと訴えた原告達

2人の原告が意見陳述。「病気が被曝の影響と認められるのか確認したい」300人を超える被害者を代表しての闘い。若者達を支え闘おう


 1月25日、東京地裁で「311子ども甲状腺がん裁判」の第4回口頭弁論が行われた。
 裁判の前の地裁前アピールには、寒風吹きすさぶ中、たくさんの方がかけつけた。
 福島からかけつけた福島原発告訴団団長の武藤類子さんが福島で原発事故について訴えてビラをまいていたら、高校生くらいの青年がじっと見ていた。話しかけると、「どうしてこんなことやってるんですか。もっと夢や希望のあることをやったらいいんじゃないですか。こんなことをいつまでもやってるから、福島はまだ汚れていると思われるんですよ」と言った。若い人へのプロパガンダ(宣伝)はすごいと感じた、その中で7人の若者が裁判を闘うのは、どれほど大変なことか、と話していた。
 本当に大変な闘いだと思う。自分が甲状腺がんになったのは、原発事故による放射線被ばくによるものだと認めてほしい、これは当然の訴えだ。しかし「いつまでもそんなことで騒いで!」と、被害者なのに非難される。それでも闘いに立ったのである。 24の傍聴席に156人がかけつけた。

 「病気は被曝の影響だと認めて」と訴える原告達

 今回は原告4の男性と原告7の女性が意見陳述した。
 原告4は26歳の男性だ。がんと共に生きる生活は7年になると話す。大学生の時に甲状腺がんと診断され手術して、半年も経たずに2回目の手術、そして1年後に3回目の手術。就職して入社2年目で4回目の手術。再発のたびに、どれほど落胆したことか。最後に「がんの再発は覚悟しているが、前だけを見たい。自分の病気が放射線による被曝の影響と認められるのか。この裁判を通じて、最後までしっかり事実を確認したい」と訴えている。将来が見えない不安を抱えながらも、真実を知りたいと闘っている。
 原告7の女性はお父さんから裁判の記事を見せられ、自分と同じ年代の、自分と同じ境遇の人たちが裁判を起こしたことを知り、裁判に参加した。
 福島県の5回目の甲状腺検査でがんが見つかった。手術の後、体調も悪く頭痛もしてイライラしてお母さんに八つ当たりの日々。裁判のことを知って、自分と同じような人がいることを知って勇気をもらった。甲状腺がんになった人が福島県だけでも300人以上いて苦しんでいる。今、立ち上がらないといけないと思ったという。
 最後に裁判官をじっと見つめて、一人一人の名前を呼んで、「私たちがなぜこのように立たざるを得なかったのか、それだけでも理解してほしい」と訴えた。
 裁判官は原告の青年たちの訴えを、しっかりと受け止めてほしい。
報告会で井戸弁護団長は、「原告に寄り添ってきた若い弁護士の皆さんにも拍手を送りたい」と語った。
「被告は、UNSCARE(アンスケア・原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の“福島の子ども達は年間10mSv以下だから被ばくにならない”というのを根拠に 反論している。しかし客観的なデータがある。第一原発から60キロ以上離れた福島市紅葉山のモニタリングポストに計測記録があった。2011年3月15日昼過ぎから16日の朝にかけて、強烈なプルーム(放射性雲)が覆い、子ども達は半日ちょっとでヨウ素131だけで60mSv被曝。他の放射性ヨウ素も取り込んだし、外部被曝もある。これからUNSCAREのデータのいい加減さを立証する。見通しは十分ある」
 7人の原告の若者達を支えるため、裁判にかけつける、福島の子ども達の実際を広く知らせる運動を進めよう。  (沢)