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2024.08.07

日本新聞

世界遺産認定巡り加害の歴史を消す政府

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4581号1面記事
世界遺産認定巡り加害の歴史を消す政府

佐渡金山で朝鮮人が強制労働させられた事実を認めない日本政府。日本と合意し、市民から非難される
韓国政府。加害の歴史は消せない

 佐渡金山が世界遺産に認定されたが、大きな問題が残っている。経緯は次の通り。
2010年
国内推薦候補の暫定リスト入り
2021年12月
文化審議会が国内推薦候補に選定。韓国は撤回を要求
2022年1月
政府は推薦見送り方針。自民党内から反発
2022年2月
政府はユネスコに推薦。ユネスコが推薦書の不備を指摘
2023年1月
ユネスコに推薦書再提出
2024年6月
ユネスコが諮問機関による「情報照会」勧告を通知
2024年7月
世界遺産委員会で審査、世界文化遺産に登録決定

 日本のマスコミは「日韓 資料の展示で妥結」とか「日韓新時代」などと持ち上げている。
 しかし、真相は全く違う。
 韓国は昨年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会の委員国に推薦された。世界遺産登録の決定は、21カ国の委員国全会一致が基本原則である。韓国の合意がなければ登録は不可能だ。
 日韓の最大の争点は、朝鮮人の強制労働を認めるか否かであった。ところが日本政府は「条約上の『強制労働』には」該当しない」という見解を変えない。しかしこのままでは登録されない。そこで、「朝鮮半島出身者を含むすべての労働者が過酷な環境にあったことを、詳細に展示、説明する」とし、「現地施設において、新たな展示物を展示した」とアピールしたのである。
 これに対して韓国政府代表は、「登録決定前に日本が展示資料を設置したことは、過去の約束を履行していないという韓国国内の懸念を取り除くものであり、歓迎する」と応じたのである。
 これは韓国の市民が納得できるものではない。ハンギョレ新聞は社説で「日本政府は、韓日間での最大の争点である『朝鮮人強制動員』の強制性については全く認めなかった。2015年の端島(軍艦島)の時より大きく後退している。尹政権は一体誰のための政権なのか」と厳しく批判している。

 侵略戦争の加害の歴史を認めてこそ友好・連帯の道に進むことができる

 2015年の長崎県の端島(軍艦島)などからなる「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の時、日本は「意思に反して連れてこられ、厳しい環境で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」と認め、「犠牲者を記憶にとどめるために適切な対応を取る」と表明したが、「虐待や差別はなかった」と言う元島民の証言を紹介している。このため、韓国国内では「日本は約束を履行しなかった」という大きな反発が巻き起こった。
 今また、侵略戦争時の植民地支配、強制連行強制労働の歴史を認めようとしない日本政府に憤りを抱くのは当然のことである。
 ハンギョレ新聞は日本の市民が強制動員を明らかにしたと、佐渡島の称光寺の住職・林さんの活動を紹介している。
――林さんは1991年8月に佐渡鉱山の朝鮮人の煙草配給名簿を確保した。1944年~1945年の太平洋戦争時に三菱鉱業佐渡鉱業所が作成した名簿である。その名簿には400人あまりの朝鮮人の名前、生年月日など記されていた。林さんは3度にわたって韓国を訪れ、被害者を探し出した。被害者から、「逃げて捕まった人が殴られるのを見た」「地元で割り当てがあると言われて佐渡に連れてこられた」「いつも腹がすいていた」などの証言を得た。
 日本政府や警察が作った公文書、新潟県の文献にも、太平洋戦争が始まると、金だけでなく戦争に必要な銅や、亜鉛、鉛などが採掘され、1500人あまりの朝鮮人労働者が動員されたと記されている。新潟県の文献には「1939年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質であった」と明記している――
 侵略戦争時の日本の加害の事実は決して消すことは出来ない。加害を認め、謝罪し、そこからアジアの国々との友好・連帯へと進んでいける。加害を認めず、軍事費を増やす政策は、平和と逆行する道である。
           (沢)