日本新聞
関東大震災から101年 政府は朝鮮人虐殺の責任を認めよ
4585号1面記事
関東大震災から101年
政府は朝鮮人虐殺の責任を認めよ
関東大震災時の朝鮮人虐殺は国が扇動したもの。「記録がない」と責
任逃れに終始する政府。加害を認め謝罪し、差別政策を撤廃すべき
1923年9月1日の関東大震災の時に、関東周辺で罪もない朝鮮人が虐殺された。その数は6600人を超える。殺された人の名前も明らかにされておらず、犠牲となった人々の数さえ定かではない。
大震災の混乱に乗じて、「朝鮮人が井戸に毒薬を入れた」「朝鮮人が放火している」など、ありもしない流言蜚語が流され、憎悪に満ちた市民自警団が朝鮮人と見れば片っ端から殺すという、大惨事が引き起こされた。
これは自然発生的に起きたものではない。
「こうした流言が官民いずれから発生したかは確認しがたい。しかし、早くも9月1日の夕方から警察官ないしは警察署が流言を流し、2日には内務省警保局長までその誤認情報を伝達する処置を取った。しかも警察官は民衆に対して朝鮮人虐殺を容認する発言すらした。官憲のこの責任は免れようもない」
「関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後—虐殺の国家責任と民衆責任」
山田昭次 著
この書籍には、警察官がいつどのようなデマを流して朝鮮人虐殺を扇動したか、詳細に記されている。
虐殺の国家責任は明白だ。
各地で朝鮮人虐殺の国の責任を求める集会開かる
関東大震災101年の今年、朝鮮人虐殺の国の責任を追及する集会が各地で開かれた。
8月30日には連合会館で、「関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動委員会」の主催で集会が開かれた。
総連中央の徐忠彦(ソウ・チュンオン)副議長は「関東大震災時、6600余名の朝鮮人を無差別に殺害した残虐な集団テロ、ジェノサイドだった。根底には日本による朝鮮侵略と植民地支配がある。日本政府は100年以上経った今も、“記録がない”と嘘までついている。東京都の小池知事は朝鮮人虐殺への追悼文を拒否している。群馬県の山本知事は、強制連行の追悼碑を強制撤去する暴挙に出た。日本政府は高校無償化や幼保無償化から朝鮮学校を排除するなど、官製ヘイトとも言うべき措置を取り続けてきた。それに誘発された日本の心無い人々によって、ヘイトスピーチがはびこる深刻な事態となった」と日本の実情を訴え、「日本が加害の歴史を認めることから健全な未来が開ける、日本の市民の活動に光を見る」と語った。
犠牲者の遺族の曺光煥(チョ・ガンファン)さんが証言した。
「私の祖父の兄が1923年9月2日、30歳で関東大震災の時に亡くなった。故郷には両親と妻、2人の娘と5歳になる息子がいた。大叔父の死は、日本で近くに住んでいた同じ村の人が家族に伝えた。生き残ったその人は後頭部に大きな傷を負っていた。生涯トラウマに悩まされて一生を終えた。韓国には、遺体がない人のお墓にその人の好きなものを入れて土饅頭を作る風習がある。法事の最後には日本の方角に家族みんなで向いて黙とうする。大叔父がどこでどのようにして亡くなったのか知りたい。
私が何より憂えるのは,関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相が歳月の流れに埋もれることだ。バトンを3世4世に引き継いでいきたい」と語った。
「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」代表の山本すみ子さんは、新史料について説明した。当時の神奈川県知事から警保局長に提出された資料である。内地人の朝鮮人に対する殺傷事件、朝鮮人と誤認して、「支那人」「台湾人」「内地人」を殺傷した事件が記されている。犠牲となった朝鮮人は氏名不詳、犠牲となった内地人は住所も氏名も明らかで、加害者は裁判にかけられている。
虐殺の事実は明らかである。これまでの史料では、神奈川の虐殺事件は2件、横浜は0とされているが、実際は横浜を中心に神奈川県内で145人が殺されたことが記されている。
日本政府は遺族に謝罪し、早急に真相究明を行わなければならない。それがアジアの国々との友好・連帯の最初の一歩なのである。(沢)