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2025.04.21

日本新聞

狭山事件 第4次再審請求 早智子さんが遺志受け継ぐ

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4617号1面記事
狭山事件
第4次再審請求
早智子さんが遺志受け継ぐ

62年も殺人犯のえん罪を着せられ亡くなった石川一雄さん。部落の青年120人を取調べした差別事件。
裁判所は再審を開始し無罪判決を

 4日付で、狭山事件の石川一雄さんの妻・早智子さんが第4次再審請求を東京高裁に申し立てた。
 石川一雄さんは3月11日、86歳で亡くなった。24歳の時に逮捕され、女子高校生殺人犯にでっち上げられ、えん罪を着せられたまま、無念の人生を終えた。早智子さんは冤罪を着せられた石川さんをずっと支えてきた。
 第三次再審請求を闘っていた石川さんは、袴田さんが無罪をかち取ったこともあり、今年こそは再審が勝ち取れると希望を抱いていた。その矢先、3月11日、無念の死を遂げたのである。

 石川さんの無実は明らか

 1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、身代金を要求する脅迫状が届いた。警察は身代金を取りに来た犯人を取り逃がすという大失態を演じた。ちょうど、幼児誘拐事件で犯人を取り逃がし、吉展ちゃんという幼児が誘拐され、警察が犯人を取り逃がしたために吉展ちゃんが遺体で発見された事件があり、警察に対する非難が高まっていた。 
 石川さんが逮捕されたのは24歳の時である。警察は近くの被差別部落2カ所に見込み捜査を行い、部落の青年120人の筆跡鑑定を行った。差別を利用して、部落出身者を犯人にしようという警察の意図は見え見えであった。別件逮捕された石川さんは、何故警察に留置されるのかと抗議し、一旦釈放になるが、警察の門を出る前に殺人事件の容疑者として再逮捕されたのである。
 そこからは代用監獄である留置場で、毎日過酷な取り調べが行われた。石川さんの家は貧しく、石川さんは小学校へも行けず、子守りや奉公に出された。家計を担っていたのは兄だった。警察はそこにつけこみ、「犯人はお前の兄だ。兄が捕まったらお前のうちは困るだろう。お前が犯人だといえば10年で出してやる。そうでなければお前がここで死んでも、逃げたと言えばいいだけだ」と脅した。実に巧妙である。犯行を否認していた石川さんはお兄さんが捕まったら困ると「10年で出してやる」という警察の言葉を信じ、「自白」した。死刑判決が出された時も「10年で出れる」と思っていたという。
 その後、警察の言葉が嘘だったことを知り、無実を主張したのだ。
 石川さんの無実ははっきりしている。
 小学校にも行けなかった当時の石川さんに、脅迫状を書く力はない。脅迫状は当て字まで使っており、石川さんには無理、筆跡もまるで違う。
 警察に誘導されて、石川さんが犯行現場だと言った雑木林のすぐ近くで農作業をしていた小名木さんは、「物音も悲鳴も聞かなかった」と言っているし、血液反応(ルミノール反応)もなかった。
 被害者の万年筆が石川さんの家の鴨居から見つかったと言うが、警察が何十人も捜索して、3回目で見つかっているのは、余りにも不自然だ。
 被害者が直前まで使っていたインクの成分が、鴨居から「発見」された万年筆からは検出されていない。よって、被害者の物ではない。
他にも無実の証拠はいくつもある。
 裁判所はすぐさま再審を認め、証拠に従って無罪を確定すべきである。石川さんがいない中での早智子さんの闘いは、大変なものになると思われる。しかし、これまで石川さんの無罪をかち取る為に共に闘ってきた全国の仲間がいる。部落差別によるえん罪を明らかにするまで、共に闘う決意である。「見えない手錠外したい」と言う早智子さんとともに。      (沢)