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2025.07.09

日本新聞

福島の小児甲状腺がん 原因は原発事故による被ばく

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4628号1面記事
福島の小児甲状腺がん
原因は原発事故による被ばく

311子ども甲状腺がん裁判第14回口頭弁論開催。原発事故当時、小6の女性が原告に参加。東電の論拠すり替え、ごまかしは許されない

 6月25日、東京地裁において「311子ども甲状腺がん裁判」第14回口頭弁論が行われた。
 雨の中、86の傍聴席に対して160名がかけつけた。「原発事故は終ったんだ」「まだ被害のことを言っているのか」など、さまざまなバッシングを受けながらも、自らの甲状腺がん発症の原因を知りたいと闘う原告の青年達。その青年達と連帯、支援したいという思いでかけつけた人たち。なぜ被害者が責められなければならないのか。納得できることではない。

 新たに訴訟に加わった女性の訴え

 報告会では新たに訴訟に加わった原告8番さんの意見陳述が流された。原告8番さんは、原発事故当時小学6年生の少女だった。
「高校2年の時、甲状腺検査で2次検査が必要と言われた。死ぬかも、と思った。結果は悪性だった。手術した。大学生になった時、心が破たんした。原発事故後、感情を抑圧し続け、遂に壊れたと思う。幻聴、幻覚、錯乱状態など、激しい精神状態に悩まされた。幻聴などが6年続いた。
 1年前、PTSDだと診断された。9年間苦しんできた精神疾患の原因が被災にあるとわかり、甲状腺がんに向き合おうとする中で、この裁判を知った。
 大学進学を機に福島県外に引っ越すと、初対面の人に「震災、大丈夫だった?」と聞かれ、「大丈夫だった」と答えながら“私は大丈夫だったんだろうか”と思った。
 この裁判のことを知って、甲状腺がんのことがなかったことにされようとしていることを知った。「取ってしまえば大丈夫」「原発事故の前からあった死なないがん」と言われ、異様に軽い雰囲気で検査と手術は進んだ。実際は事故の後にできたがんで、リンパ節転移などがあった。
 この裁判は私にとって“大丈夫だった”という呪いを解いていく作業でもある。今私は“怖い!助けて!”と叫んでいる高校生の時の自分を助ける作業をしています」
 呪いを説いていく作業――実に重い言葉だ。小さな違いはあるだろうが、福島の青年達が、事故の後にもこのような圧迫を受けていたことが示されている。

 追い詰められて、潜在がんの定義を変えてきた東電

 報告集会では裁判の状況が詳しく話された。
 午前中の進行協議では、新規提訴の原告8番さんが次回期日から原告に組み入れられることが確認された。
最大の争点は、甲状腺がんの罹患の原因が原発事故によるものだということ。
 福島県立医大の鈴木眞一医師は、「たくさんの甲状腺がんが発見された。手術は適正だった」と言いながら「被ばくとは関係ない」と苦しい説明をしている。
 今回、原告5番さんの30ページに及ぶ準備書面を一緒に作成した古川弁護士は、「被ばくの量の問題ではなく、どこでどう被ばくしたかが大事。2011年3月15日、放射性プルームで放射線量がグーンと上がった。お母さんに職場の後片付けに連れていかれ、帰りに被ばくした。自宅も古い家で壁がひび割れして、部屋の窓が閉まらなくなって、風がビュービュー入ってきた。1回目に右切除、2回目に左切除し、今、再発が確認されている。手術した後、もう一度開くのは大変なことなので、経過観察せざるを得ない状況。精神的にも大きな影響を受けている。ストレスも大きい。覚えてないことが多い。乖離性健忘と診断されている。また、フラッシュフォワード、将来に対する不安に怯えている。将来の不安を抱えて生きていかなければならない状況だ」と語った。
 井戸弁護団長は「東電は『これまで、福島の子ども達の甲状腺がんは潜在がん。子どもは一定数、小さい時から甲状腺がんを持っている。そのがんは悪さをしない。放っておけば無くなる。手術した福島の子ども達300人以上は、手術しなくても良かった』と言っていた。ところが杉谷医師の“被ばくとの因果関係はない。しかし手術は相当”という論を採用し、潜在がんの定義を変えてきた。つまり“潜在がんは、生涯、症状が発見されずに終えたかもしれないがん”。これではすべてのがんが潜在がんになる。裁判所は東電に“潜在がんの定義をはっきりするよう”申し渡した。東電は追い込まれている」と更なる支援を訴えた。
 被ばくにより甲状腺がんを発症し、身体的にも精神的にも追い詰められてきた原告達の苦悩は計り知れない。国と東電は被害の苦しみを認め、謝罪し、早急に補償しなければならない。
 311子ども甲状腺がん裁判のスタッフとして、高校生や大学生の参加が増えていたことに希望の光が見えた。        (沢)