日本新聞
駐日中国大使館主催 「歴史を銘記し平和を守る」記念レセプション開催
4628号3面ルポルタージュ
駐日中国大使館主催
「歴史を銘記し平和を守る」記念レセプション開催
日本の侵略の歴史を認めることが日中友好の第一歩
6月25日、駐日中国大使館主催で「歴史を銘記し平和を守る」記念レセプションが開催され、30余りの団体、300名以上が参加した。緑の党も招待され、5月に訪中した若者たちも参加した。
近隣諸国と共に発展する中国が世界の要
吴江浩・中華人民共和国駐日本国特命大使から挨拶があった。
冒頭に「中国人民抗日戦争、世界の反ファシズム戦争勝利80周年を共に記念する。これは歴史を銘記し、平和を大切にし、未来を切り拓くための集会です。当時、日本軍国主義は侵略戦争を発動し、中国及びアジア各国民に対し、残虐な罪を犯し深刻な災難をもたらしたが、日本国民もその害を深く受けた。私たちは一貫して戦争の罪責は少数の軍国主義軍人にあり、日本国民にはないと主張している。
私達は平和を愛する日本国民とともに、侵略の歴史を歪曲、美化、否認する、あらゆる誤った言行に対し断固として抗争し、共に歴史の真相を守り、平和を代々伝承させていく」と語ったように、侵略の歴史を認めることが日中友好の第一歩であり、世界の平和を構築する道である。
最後に「80周年を新たな出発点とし、平和友好の初心を堅持し、中日関係の改善、発展のため、両国人民の友好の為、平和、繁栄のため、共に努力していきましょう」と述べた。
世界の平和を願う中国の一貫した姿勢が示された。
徳島から97歳の元木光子さんがかけつけた。元木さんは戦時中、中国東北民主連軍に所属し、看護師として中国兵士を救助し、1950年代、日本に帰国後、徳島県日中友好協会創立など、中日友好運動に貢献してきた方である。高齢を押して、何としてもこの集会に参加したいという願いが実現して嬉しいと、力強く語っていた。
広範な国民連合代表世話人・羽場久美子さんは次のように語った。
「昨年、被団協がノーベル平和賞を受けたことを踏まえ、また、私自身、広島の被爆2世として、日本が二度と近隣国に対し戦争を行わないこと、日本が国連の核廃絶禁止大会に参加し、核廃絶を目指して率先して平和の為に努力することを深く誓いたい。
1、戦後80年、日清戦争から始まる植民地戦争の130年を深く反省し、謝罪したい
2、市民と自治体の力で、中国と共に平和を築いていきたい
今、大きな転換点、アジアの時代が到来している。中国をはじめとするBRICS諸国、グローバルサウスが大きく成長している。世界の多くの国々が植民地と貧困や飢えから脱し、貧しい近隣諸国との共同発展が実現されようとしている。欧米の時代はゆっくり終焉を迎えようとしている。
2030年には中国は名目GDPでもアメリカを抜く。2050年2060年にはインドがそれに続く。中国をはじめとするBRICS諸国が素晴らしいのは、派遣を求めず、貧しい近隣諸国への支援と投資、連帯と共存によって共に発展していこうとする姿勢だ。典型的なのが一帯一路政策。壮大な経済発展と貧困撲滅の政策。
次に重要なことは、青年と共に市民と共に自治体と共に未来を切り拓くこと。中国はその経済成長と大国化を、覇権と戦争によってではなく、平和と共存発展、特に若者たちの教育とIT、AI教育、文明化によって実現しようとしてきた。
日本の中国に対する警戒の風潮は残念ながら消えていない。
しかし日中友好協会や自治体の協力、青年間の交流によって、若者から、自治体から日中不再戦の動きが、沖縄をはじめとして広がっている。世界の中でアジアから新しい平和をつくっていく、世界の発展をリードしていくことを、みなさんとともに誓いたい」と実に明解に語った。
紫金草合唱団による「紫金草物語」は歌で、過ちを繰り返すまい、平和の紫金草を咲かせようとドラマチックに歌いあげ、感動を呼んだ。
侵略の歴史を直視し平和友好の道を
食事会の最後に各団体からのあいさつがあった。緑の党・對馬テツ子党首は「5月、訪中した。戦後80年を迎えた今、日本軍国主義が中国大陸を侵略した歴史をたどる学習をしてきた。訪中に参加した若者は日本軍国主義の蛮行に対して、衝撃を受けていた。日本の歴史教育は加害の事実を教えない。三光作戦や細菌戦などの歴史をみつめ、若者の感性で“絶対、人殺しをしたくない。こんな過ちを繰り返したくない”と、怒りを込めて話していた。日本の中では加害の歴史を歪曲したりして、なかなか真実を伝えようとしない。私たちは若者と共に、侵略の歴史を直視し、過ちを繰り返さないために、これからも若者たちと共に訪中し、勉強していきたいと思っている。訪中の中で私たちが励まされたのは、撫順戦犯管理所の見学だった。日本の戦犯が中国の暖かい処遇の中で、鬼から人間によみがえり、死刑になることもなかった。撫順戦犯管理所の行いは世界にも類例のないことだ。自分の生き様を自分に問い、悲惨な歴史を繰り返さない、そんな生き方を日本に帰って行った。この中国の方針があったからこそ、今日の中国の発展がある。
日本が敗戦の時、残留孤児が飢えて、病で次々亡くなった。しかし、敵国の子どもを中国の養父母は育ててくれた。訪中の中でもそれを学び、中国の深い愛を感じてきた。
中国は今、経済的にも平和的にも、大きく世界をリードしている。
私達日本はどうしていくのか。『台湾有事』に煽られて戦争する国に向かっているが、それには未来がない。何としても日中平和友好条約を堅持し、不再戦、平和友好の道を、手をたずさえて進んでいこう」と堂々と訴えた。
世界の平和の為に、貧しい国々と共に発展する道を歩む中国と、その中国に向けミサイル基地を造り軍備増強する日本。侵略の歴史をもなかったことにしようとする日本。
今、日本が平和に向かって大きく舵を切る時、そのために団結して運動を進めることが必要だと痛感させられた。 (桐)