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2025.09.03

日本新聞

長生炭鉱から遺骨、政府は責任をもって調査を

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4637号1面記事
長生炭鉱から遺骨、政府は責任をもって調査を

「遺骨の場所と深度がわからない」と調査を拒んできた国。遺骨発見の今、遺骨調査を具体的に進め、遺
族に謝罪することを早急に求める

 山口県宇部市の長生炭鉱で、水没事故の犠牲者の遺骨調査で、8月26日、潜水したダイバーが頭蓋骨を発見した。前日の25日にも細長い骨を3本発見している。地元の市民団体「長生炭鉱の水非常の歴史を刻む会」がクラウドファンディングで資金を募り、日本の代表的な水中探検家の伊佐治佳孝さんと韓国のダイバー・金京洙さん、金秀恩さんの協力を得て、昨年10月から遺骨調査を行ってきた。そして遂に遺骨を発見したのである。海中にはたくさんの障害物があり、伊佐治さんは調査中にケガをしている。その後を引き継いで、韓国ダイバーが遺骨発見にこぎつけた。海中にはまだたくさんの遺骨が確認されたという。

 長生炭鉱水没事故は国策による人災、国の責任は明らか

 1942年2月3日、沖合1.1キロで海底坑道が崩れ、183人(136人が朝鮮半島出身者、日本人が47人)が犠牲となった。この事故は予測できないものではなく、起こるべくして引き起こされたものだ。136人のうち4人は10代、30歳以下が80人と若い人たちであった。
 宇部炭田にはいくつかの炭鉱があり、長生炭鉱は3番目に大きかった。全体で年間100万トンの石炭を出していて、長生炭鉱は15万トンを出していた。石炭がなければ戦争できないと、国策として供出量も決められていた。
 長生炭鉱は一番先に電気化され、トロッコが24時間動いていた。掘った石炭をトロッコが電動で運び、すぐ戻ってくる。そのため、休む暇もなく、労働は過酷さを極めた。労働力も足りなくなり、朝鮮半島から強制連行される人数も増やされ、過酷な労働を強いられた。
 この人たちが入れられた「合宿所」(会社側の呼び名)は実際は収容所で、高さ3.6メートルの壁で囲まれ、出口は1カ所、ピストルを持った憲兵がいたという証言がある。通路の壁にはハングルで「おなかがすいた」「母さん会いたいよ」と書かれていたという。
 地下40メートル以上なければならないという鉱山法も守られず、長生炭鉱は地下37メートルしかなかった。そこから更に上へ上へと掘らされたのである。坑道は常に水漏れしており、いつ事故が起きるかわからない状態だった。
 事故の何日も前から水漏れが確認されていた。会社は補修しながら石炭の掘削を続けていた。前年の11月にも大水が出たが、同じ箇所で事故が起きたのである。会社側は人命救済に力を尽くすのではなく、坑口から水が上がってこないようにと、松の板で坑口を閉めてしまったのだ。183人を生き埋めにしたのである。坑口前は家族や関係者が「まだ生きてるじゃないか!」と怒り、会社に行って「開けろ!」と抗議した。当然である。そこに特高警察が来て発砲し、4人が犠牲になったのではと言われている。真相は明らかにされていない。
 石炭供出が至上命令とされていたことで引き起こされた事故であり、国の責任は明確だ。これまで政府は「遺骨の場所と深度がわからない」と、「刻む会」の遺骨調査の求めを無視し続けてきた。「刻む会」と市民の協力で遺骨の場所が明らかとなった今、福岡厚労相は「安全性」を前面に出し「財政支援の検討はしていない」と開き直っている。
 遺族は80代、90代と高齢になっている。一刻も早く遺骨を引き揚げ、故郷に返してやらなければならない。国は事故の責任を認め、遺骨調査に早急に乗り出すべきである。
 政府は侵略戦争での虐殺、植民地支配などの加害の歴史を認めないどころか、なかったことにして消し去ろうとしている。長生炭鉱の問題だけではなく、あらゆる加害の歴史を認め、謝罪してこそ、アジアの平和、友好の一歩を踏み出せるのである。       (沢)