-
2024.09.25
日本新聞
9月26日袴田判決、再審無罪確定を
4588号1面記事
9月26日袴田判決、再審無罪確定を
袴田さんの完全無罪と再審法改正求め、日比谷野音に2500人結集。
再審は冤罪被害者を救うため、検察官抗告の禁止など法整備は緊急
9月19日、日比谷野音で市民集会「今こそ変えよう!再審法~カウントダウン袴田判決」が行われた。袴田さんは無実が明らかにも関わらず、58年もの長い間、冤罪を着せられている。今は釈放されて、姉のひで子さんと共に暮らしているが、死刑囚の汚名はそのままである。死刑判決が確定してからも44年の長きに及び、その間に袴田さんは拘禁症を患い、精神を病んでしまったのだ。毎日、看守の足音が自分の房で止まらないか、止まったら死刑執行の日だという中で、精神的に追い詰められるのは当然である。
ひで子さんの面会を拒否することも続き、ひで子さんも先が見えない時期があった。しかし、ひで子さんはそこから立ち上がり、巖さんを支え続けてきたのである。見事な女性である。
長い長い闘いもついに、9月26日が再審判決の日である。検察は控訴せず、袴田さんの無罪を確定させるべきである。
「巌の頑張りを再審法改正に」とひで子さん
日本弁護士連合会会長の渕上玲子さんは「袴田さんは長い拘留生活で、いつ死刑になるかわからない恐怖と絶望のために拘禁症を患った。私たち日弁連は再審を共に闘ってきたが、なぜこれほど時間がかかるのか。袴田さんの無罪をかち取るとともに、再審法改正の実現に向けた大きな風を吹かせましょう」と訴えた。
袴田ひで子さんは静岡からかけつけ、あいさつした。
「1週間後に判決が下される。巖は無実だから無罪だと思っている。2014年に再審開始が決まって、拘置所から巖が出てきたとき、もう勝ったようなもんだと思った。巌は年を取り、足が遅くなって車でドライブしている。47年7カ月拘置所にいた後遺症はいろいろ出てきている。判決が出るのはうれしい。47年間巖が頑張った、その頑張りを再審改正法に是非、改正なり訂正なりしてほしい」
巖さんのことだけではなく、巖さんのような目にあう人をなくしていきたいという思いにあふれていた。
再審法改正を求めて
日弁連再審法改正実現本部本部長代行の鴨志田祐美さんは、日弁連が再審法改正に向けてどのように闘ってきたかの経過を話した。再審法改正を目指す議員連盟は設立から5か月ちょっと経った現時点で、現在の入会数は347名。全国会議員の49%に及んでいる。地方でも声があがり、12の道府県議会をはじめ348の議会が国に再審法改正を求める決議を採択している。鴨志田さんは「今年、遅くても来年の通常国会で再審法改正を実現させなければならない」と述べた。
リレーメッセージではブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」作者の中川真緒さん、櫻井昌司さんの支援者の宇野朱音さん、など若い人たちが登壇し、冤罪の不当性、再審法改正の必要性について訴えた。
日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会の皆さんからも、巖さんを激励する挨拶が相次いだ。巌さんは“元ボクサーだからやりかねない”という偏見を利用して殺人犯にでっち上げられた。
第2部では、フリーアナウンサーの古舘伊知郎さんを司会に、「再審のリアルを語り倒そう」のテーマでディスカッション。
元厚生労働省事務次官で郵便不正事件冤罪被害者の村木厚子さんは、自ら冤罪を着せられた経験から、再審法の問題点を鋭く突いた。
そもそも再審は、無罪の可能性があるのだから、早急に審議すべきだが、その規定が何もない。それどころか再審が決まっても、検察が抗告すれば、徒に時間が費やされる。日弁連の改正案は、手続の明文化・審理の公開、記録・証拠品の保管、証拠の開示、検察官抗告の禁止が盛り込まれている。
袴田さんの完全無罪をかち取るとともに、再審法の改正を実現させよう。 (沢)
-
2024.09.18
日本新聞
311子ども甲状腺がん裁判 原発事故と甲状腺がんの因果関係は明らか
4587号1面記事
311子ども甲状腺がん裁判
原発事故と甲状腺がんの因果関係は明らか
311子ども甲状腺がん裁判第11回口頭弁論で苦しい体験を切々と語る原告。被告東電は事故による被ばくを認め、被害者に保障せよ
9月11日、東京地裁で「311子ども甲状腺がん裁判」第11回口頭弁論が行われた。
「311子ども甲状腺がん裁判」は事故当時18歳未満だった青年達が、事故後、甲状腺がんを発症し、自らの病気が原発事故による被ばくが原因だったことを明らかにして、保障してほしいと訴えた裁判である。
被告東電は、いまだに事故と甲状腺がんとの関連性を認めない。それどころか、原告の青年達のがんは、検査しなければ生涯気づかないくらいの、問題にもならないものだとさえ言っている。現実に今現在、苦しんでいる青年たちを前に、よくもこれほどの暴言を言い放つことができるものだ。譲れない闘いである。
原告1さんの意見陳述
裁判の最初に原告1さんの意見陳述があった。すべての原告の意見陳述を聞いた裁判長から今の裁判長に代わったので、意見陳述が認められて本当に良かった。以下に要旨を紹介する。
会津若松に住んでいた。自宅は原発から西に100キロ圏内で、東側方向からのプルームが滞留しやすいところにある。事故後、放射性セシウムも高い値を示していた。自宅の窓は原発側に向いていた。自転車通学で、片道30分はかかった。よく牛乳を飲んでいた。事故後も露地野菜を食べていた。
19歳の時の検査では特に問題はなかった。20歳の時、穿刺細胞診検査をした。1、2回目とうまくいかず、苦しかった。翌日、甲状腺がんを告知された。半年に1回通院した。1年後には10.6ミリと大きくなった。手術前には11.6ミリになっていた。
SNSで病気のことを発信したら、励ましが返ってきてうれしかった。手術後も定期的に検査している。再発を考えると落ち込むので、考えないようにしている。
被告東電はこの意見陳述をどうとらえるのだろうか。これが、調べなければ生涯気づかない、問題にもならないガンなのか。あまりにもひどい。
原告側弁護団は13本の準備書面を提出して、この日の弁論に臨んだ。
弁護団の論点は明確だった。
・被告は“潜在がん”だというが、福島県で甲状腺摘出手術は327人、必要のない手術だったのか。1割が再発している。被告の主張“治療の必要のない潜在がん”は、実際とかけ離れている。
・被告は“福島の子ども達の被ばく量は5.1ミリシーベルトと低いから、原発事故と甲状腺がんに因果関係はない”と主張。紅葉山のモニタリングポストは1歳児で約60ミリシーベルトの被ばくを示す。平山論文も10歳児の被ばく46.81ミリシーベルトと明記。UNSCEARは5.1ミリシーベルトとしている。なぜこんなに違うのか。
・被告の「100ミリシーベルト閾値論」は誤り。世界的な微生物研究者であるルビン博士は“100ミリシーベルト以下でもガンになる”と述べている。
日本民法学会最高峰の我妻栄は“常識的に、事故があった時は因果関係あり”と述べている。原賠法では“早急かつ十分に被害者を支援すべき”と定めている。
この日、87席の傍聴席に対して207人がかけつけた。
報告集会では大学生やスタッフの青年など、若い人の発言が続いた。
「自分と同年代の原告がいろいろな覚悟を持って裁判をしているのがすごい。メディアはあまり報じないが、自分は見過ごしたくないから傍聴した」
「同年代の人たちが闘っているのが心に響いた」
「メディアは取り上げてほしい。人権を守る最前線だ」
井戸弁護団長は「今、“福島の事故で住民被害はなかった”という神話がまん延している。それを打ち破っていかなくてはならない。UNSCEARはインチキだと広めてほしい。それが一番の武器になる」と訴えた。
なぜ、被害を受けた人が勇気を持って被害を訴えなければならないのか。原告の青年達と連帯し、被害の実際を広めていこう。(沢)
-
2024.09.11
日本新聞
石垣市の若者達 民主主義求め最高裁に要請行動
4586号1面記事
石垣市の若者達
民主主義求め最高裁に要請行動
住民投票実施の規定クリアでも陸自石垣駐屯地について住民投票を行わない石垣市。最高裁に地裁、高裁の請求却下覆す判断を求める
9月6日、石垣島から若者達が上京し、最高裁に要請行動を行った。若者は金城龍太郎さん、川満起史さん、宮良麻奈美さんである。
金城さん達は陸自石垣駐屯地の建設工事が始まる前の2018年10月に、「石垣市住民投票を求める会」を立ち上げた。
求める会は、陸自石垣駐屯地について、住民投票を行おうと署名を集め、1か月で有権者の4割近い1万4263筆を集めた。石垣市の住民投票条例には、市の有権者の4分の1以上の署名で住民投票を請求できる、市民から請求があった時には、市長は住民投票を実施しなければならない、とされている。
2018年12月、1万4263筆の署名を金城さん達は石垣市に提出し、住民投票を請求した。ところが市長は臨時市議会で住民投票を否決し、住民投票を行わない。それどころか、2021年6月には市議会が、住民投票実施に関する自治基本条例の条例文(28条1項)を削除という暴挙に出た。
2019年9月19日
那覇地裁に「義務付け訴訟の提起及び仮の義務付けの申し立て」
2020年8月27日
那覇地裁判決、原告の訴え却下
2021年1月20日
福岡高裁、控訴審第1回期日 即日結審
2021年3月23日
控訴審判決 控訴棄却
最高裁に上告
当たり前のことが通らない、このまま最高裁が一審二審の判決を踏襲するなら、地方自治も民主主義もない、そのような思いで、金城さん達は闘っている。
9.6最高裁要請行動
9月6日、早朝から金城さん達3人をはじめ、賛同者、支援者たちが最高裁判所前でビラまきなどの情宣活動を行った。賛同者2万4157筆の署名を最高裁に提出し、要請行動を行った。
衆議院第一議員会館で行われた東京集会で、原告の3人が思いを語った。
金城さん
「僕が会の代表になったのは、一番若いからということでしたが、同時に僕の実家と農園が基地予定地に一番近く、基地建設の状況を見てきたから、その目線から発信しようという覚悟もありました」
川満さん
「住民投票がいまだに実施されていないことに、怒りに近い感情を抱いている。次世代を担う中学生や高校生に、政治に関する不信感を抱かせてしまった。署名活動は大きな盛り上がりを見せ、子ども達にも多大な関心を持たせた。署名して投票に行くと言ってくれた高校生もいた。政治とは未来を語ることだと思う。一度政治に不信感を抱いてしまった彼らは石垣市の未来を語れるか。
彼らに少しでも明るい未来を見せることが私たちの責任だ」
宮良さん
「2018年からこの運動に関わってきた。その時から感じていたのは、この島に自分たちが住んでいないかのように、頭の上でどんどん話が進んでいる、それがこの問題に関わったきっかけ。住民投票運動は、私にとって“私たちはここにいる。透明人間じゃない。意思をもっている。一番直面するのは私たちだから、ここにいるんだとアピールする場にしたい”と思っていた。支援の輪も広がり、6年頑張ってきて良かった」
大井琢・弁護団長から経過報告が行われた。
一審判決は「今の時点では28条1項は廃止されてしまっているから、訴えは不適法」と話にならない。廃止しても、後戻って、それが適用される。そうでなければ何でもできる。
控訴審判決は
・地方自治は間接民主制が基本
・住民投票実施には議会の判断が必要
石垣市は「市民からの請求は拒むことができない」を破り、住民の利益や権利を侵害した。それを裁判所が認めている。住民は選挙の時のみの「主権者」ではない。裁判所は住民ではなく行政を救済する、これが現状。
大井弁護団長は「最高裁が一審や控訴審判決を認めることは民主主義の死を意味する」と訴えた。
まさにその通りである。民主主義を求めて、島での暮らしの継続を願って、最高裁に要請行動を行った石垣島の若者達と連帯しての闘いは、日本を守ることである。 (沢)
-
2024.09.04
日本新聞
関東大震災から101年 政府は朝鮮人虐殺の責任を認めよ
4585号1面記事
関東大震災から101年
政府は朝鮮人虐殺の責任を認めよ
関東大震災時の朝鮮人虐殺は国が扇動したもの。「記録がない」と責
任逃れに終始する政府。加害を認め謝罪し、差別政策を撤廃すべき
1923年9月1日の関東大震災の時に、関東周辺で罪もない朝鮮人が虐殺された。その数は6600人を超える。殺された人の名前も明らかにされておらず、犠牲となった人々の数さえ定かではない。
大震災の混乱に乗じて、「朝鮮人が井戸に毒薬を入れた」「朝鮮人が放火している」など、ありもしない流言蜚語が流され、憎悪に満ちた市民自警団が朝鮮人と見れば片っ端から殺すという、大惨事が引き起こされた。
これは自然発生的に起きたものではない。
「こうした流言が官民いずれから発生したかは確認しがたい。しかし、早くも9月1日の夕方から警察官ないしは警察署が流言を流し、2日には内務省警保局長までその誤認情報を伝達する処置を取った。しかも警察官は民衆に対して朝鮮人虐殺を容認する発言すらした。官憲のこの責任は免れようもない」
「関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後—虐殺の国家責任と民衆責任」
山田昭次 著
この書籍には、警察官がいつどのようなデマを流して朝鮮人虐殺を扇動したか、詳細に記されている。
虐殺の国家責任は明白だ。
各地で朝鮮人虐殺の国の責任を求める集会開かる
関東大震災101年の今年、朝鮮人虐殺の国の責任を追及する集会が各地で開かれた。
8月30日には連合会館で、「関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動委員会」の主催で集会が開かれた。
総連中央の徐忠彦(ソウ・チュンオン)副議長は「関東大震災時、6600余名の朝鮮人を無差別に殺害した残虐な集団テロ、ジェノサイドだった。根底には日本による朝鮮侵略と植民地支配がある。日本政府は100年以上経った今も、“記録がない”と嘘までついている。東京都の小池知事は朝鮮人虐殺への追悼文を拒否している。群馬県の山本知事は、強制連行の追悼碑を強制撤去する暴挙に出た。日本政府は高校無償化や幼保無償化から朝鮮学校を排除するなど、官製ヘイトとも言うべき措置を取り続けてきた。それに誘発された日本の心無い人々によって、ヘイトスピーチがはびこる深刻な事態となった」と日本の実情を訴え、「日本が加害の歴史を認めることから健全な未来が開ける、日本の市民の活動に光を見る」と語った。
犠牲者の遺族の曺光煥(チョ・ガンファン)さんが証言した。
「私の祖父の兄が1923年9月2日、30歳で関東大震災の時に亡くなった。故郷には両親と妻、2人の娘と5歳になる息子がいた。大叔父の死は、日本で近くに住んでいた同じ村の人が家族に伝えた。生き残ったその人は後頭部に大きな傷を負っていた。生涯トラウマに悩まされて一生を終えた。韓国には、遺体がない人のお墓にその人の好きなものを入れて土饅頭を作る風習がある。法事の最後には日本の方角に家族みんなで向いて黙とうする。大叔父がどこでどのようにして亡くなったのか知りたい。
私が何より憂えるのは,関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相が歳月の流れに埋もれることだ。バトンを3世4世に引き継いでいきたい」と語った。
「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」代表の山本すみ子さんは、新史料について説明した。当時の神奈川県知事から警保局長に提出された資料である。内地人の朝鮮人に対する殺傷事件、朝鮮人と誤認して、「支那人」「台湾人」「内地人」を殺傷した事件が記されている。犠牲となった朝鮮人は氏名不詳、犠牲となった内地人は住所も氏名も明らかで、加害者は裁判にかけられている。
虐殺の事実は明らかである。これまでの史料では、神奈川の虐殺事件は2件、横浜は0とされているが、実際は横浜を中心に神奈川県内で145人が殺されたことが記されている。
日本政府は遺族に謝罪し、早急に真相究明を行わなければならない。それがアジアの国々との友好・連帯の最初の一歩なのである。(沢)