-
2024.05.01
日本新聞
日本新聞 4567号記事 不戦、戦力不保持の平和憲法を守ろう
軍備増強、武器輸出解禁、すべてを戦争につなげる経済安保など、戦争に向かって突き進む岸田政権。今、反戦の声を高らかにあげよう
5月3日は憲法記念日である。
現在の日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、翌年1947年5月3日に施行された。
日本が敗戦したのが1945年8月15日。この戦争で日本は国土も焼け野原と化し、戦死者約310万人、生き残った人々も食べるものもままならない困窮の中にあった。また、日本の侵略戦争、植民地支配により、アジアの国々の犠牲者は2000万人を下らないといわれている。
戦争によって得たものは何もない。失ったもの、奪われたものは実に大きい。そこから、二度と戦争を繰り返してはならないと、憲法が作られた。
その前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と明記している。そして9条1項では、戦争の永久放棄を、2項では、戦力の不保持、交戦権を認めないことを明記している。
日本国憲法9条は、平和を愛する世界の国の手本とされている。9条を守り、二度と戦争を繰り返さないことが、日本、そして世界の平和を守る道である。
改憲、戦争に向かう岸田政権
ところが安倍政権、菅政権、岸田政権と、憲法9条を葬り去ろうという姿勢は変わらない。岸田首相は「私の任期内に改憲を行う」と言ってはばからない。
憲法記念日を前にした4月26日、自民憲法改正実現本部は、改憲実現に精力的に取り組む方針を確認したとしている。「大型連休明けには国会発議に向けた取り組みをしっかりしなければ」と話されたという。
改正と言っているが、9条を葬り去って、戦争を合法的に行うように変えてしまおうというのである。
そして政府は、戦争に向かって突き進んでいる。軍事費を世界3位にまで拡大し、軍需産業に武器を造らせ、武器輸出を許す。これを決めてしまった。戦争で人々は辛酸をなめさせられたが、その時大儲けしたのが三井、三菱、住友などの財閥の軍需産業である。
そして今再び、軍需産業の利益を保障し、私たちを戦火の中に放り出そうとしているのだ。
軍備増強、武器輸出、南西諸島の軍事要塞化、軍事同盟であるNATO会議に首相が参加、経済安保(3面参照)、どれもこれも憲法違反である。それを政府が公然と行う。国会の審議もなく、密室で数人の与党閣僚による閣議で決定してしまう。ファシズム体制が完成に近づいていることに危機感を抱かなければならない。
「台湾有事」を煽り立て、南西諸島の軍事要塞化を猛スピードで進め、住民避難のためとシェルターを建設。そのシェルターに住民を避難させる避難訓練を行っている。ごく一部の住民しか入れないシェルターはアリバイでしかない。
米軍が南西諸島の島々で中国に向けてミサイルを撃ち、立ち去る。自衛隊が後を引き継ぐ。犠牲になるのは自衛隊員であり、住民達である。
日本が憲法9条を守り、不戦を貫く時、日本に攻撃する国はない。日本がアメリカと組んで有事を引き起こす時、日本は戦場と化すことになる。
アジアの国々と力を合わせて、戦争ではなく経済発展の道を歩む。沖縄をはじめ、豊かな自然の宝庫である南西諸島に世界の人々が集う、そんな島にすることである。自然あふれる島々に基地やミサイルはいらない。
憲法記念日に、反戦、平和の思いを新たに。 (沢) -
2024.04.24
日本新聞
日本新聞 4566号記事 東電、柏崎刈羽原発に核燃料装てんの暴挙
福島第一原発事故は終っていない。事故を起こした東電が、福島と同じ沸騰水型原発を地元同意の見通しもない中で再 稼働の準備を強行
東電は15日、柏崎刈羽原発7号機の原子炉に核燃料を入れる燃料装荷を始めた。872体の燃料を入れるという。
柏崎刈羽原発再稼働については何も決定していない。昨年12月までは原子力規制委も運転禁止命令を出していた。ずさんな管理、安全対策の不備による措置だ。
東電は福島第一原発事故を起こした当事者である。事故によって、福島の人々が大きな被害を受けたこと、命を失った人もいたことを重く受け止めることもなく、「経営改善のため」と、柏崎刈羽原発の再稼働に勇み足になっている。
しかも柏崎刈羽原発は福島第一原発と同じ沸騰水型の原発である。福島の事故後に再稼働した原発に、沸騰水型の原発はない。こともあろうに事故を起こした当事者の東電が、福島と同じ沸騰水型原発を再稼働することは認められることではない。
ところが、原子力規制委は昨年12月、柏崎刈羽原発に対する運転禁止命令を解除したのである。それを受けて、今回の核燃料装てんが強行されたのである。原子力規制委も国と一体の犯罪的組織であると言わざるを得ない。
新潟県・花角知事は再稼働に慎重な姿勢を崩していない。原発から6方向に延びる避難道路の問題、避難計画の問題など何一つ結論は出ていない。
上越市長は「今の状況では『再稼働していいですよ』とスムーズに返事することは出来ない」、長岡市長は「原発に影響を与える断層を再検証する必要があるのではないか」と言っている。再稼働を危険視する意見が増えているのだ。
この状況で核燃料装てんは、東電が福島第一原発事故を起こした時と同様、住民の命など二の次の体質が何ら変わっていないことを露呈している。
15日に核燃料装てん開始後、17日午前には電源トラブルで作業を停止、16時間後の17日深夜に作業再開。電源トラブルの原因不明のままの再開である。
すべての原発は停止し廃炉に
能登半島地震では、志賀原発が止まっていたことが幸いした。もし動いていて大事故になったら、避難などできないことが明らかになった。
屋内に避難しろと言われても、家がぺしゃんこにつぶれた映像から、屋内避難など不可能だということははっきりしている。屋外に避難しろと言われても、道路は寸断され逃げることなどできない。原発事故等起きないようにする以外に方法はない。
原子力規制委は「自然災害についての避難は、我々には無関係」と言い放っているのだから、命を守ることなど考えていない。この地震列島日本で、原発を動かすこと自体無謀であり、やってはならないことだと、私たちは東電福島第一原発事故から思い知らされた。
第一原発の事故現場では、ALPSは上澄みを通すが、汚泥はそのまま取り出し、その超高濃度の放射性物質である汚泥を新しい保存タンクに移し替えるのは作業員の仕事である。今も危険な被ばく作業を余儀なくされているのだ。
故郷を追われ、生業も無くした被害者は、事故前の生活を望む術もない。支え合うコミュニティをなくし、力尽きた人もいる。このような惨状から目を背けず、二度と福島の惨状を繰り返してはならないと行動しなければならない。
国も東電も何の責任も取らず、それどころか国は再稼働を推進し、東電はそれに乗っかって、再稼働へと突き進もうとしている。これでは第二第三の福島が起きる。
すべての原発を止め、廃炉にすることが命を守ることである。(沢) -
2024.04.17
日本新聞
日本新聞 4565号記事 首相訪米で日米軍事同盟強化を宣言
中国に対抗する米英豪のオーカスへの日本の参加を示唆。
軍事同盟強化は平和と逆行し戦争への道。アジアの国々との協力が発展への道
岸田首相は米国を訪れバイデン大統領と会談した。
日米共同声明は
・グローバルなパートナーシップ構築
・自衛隊と米軍の「指揮統制」の枠組み向上
・防衛産業の連携へ関係省庁の定期協議
・米英豪の「AUKUS(オーカス)」と日本の協力検討
などで合意したという。
岸田首相は「世界の課題に米国と共に対処する」と強調したというが、一体何をしようというのか。
首相の「世界の課題に米国と共に対処する」という言葉は重要な意味を持つ。これまでは日本は不戦の憲法9条を持つ国として、決して参戦しない、武器も輸出しないことを貫いてきた。
これに対して安倍元首相は「自由で開かれたインド太平洋」を提唱し、アメリカにインド太平洋地域を守ってほしい、そのために日本は軍備増強をして備えると、法を次々改悪した。憲法解釈改憲で、集団的自衛権の行使容認、安保関連法改悪で戦争できる国へと変貌させる、等々である。岸田首相は安倍元首相の方針を継承し、その具体化にまい進している。軍事費をGDP比2%へ増額、敵基地攻撃能力保有、武器輸出解禁などである。
そして今、中国に対抗することを目的とした、アメリカ、イギリス、オーストラリアの軍事同盟AUKUSに日本が協力すると宣言した。また、中国をけん制するためのアメリカ、フィリピンとの海上合同軍事訓練をインド太平洋で1年以内に行うとしている。
対中国を強めるアメリカの戦略下に自衛隊が動くのである。
安倍元首相暗殺に身の危険を感じ、米国の意に沿うように尻尾を振っているのかもしれないが、それは日本の安全とは程遠い戦争への道である。
アジアの国々と共に発展する、それが最大の安全保障
「中国の覇権主義に対する抑止力」「台湾有事に備えて」と言うが、青山学院大学の羽場久美子名誉教授は次のように指摘する。
「中国は、アメリカが煽らない限り攻めてこない。台湾併合にしても、中国は100年待てると言っている。台湾の世論調査では、8割が現状維持、中国との良好な関係維持を求めている。中国が台湾を軍事併合することはない。
2035年には中国のGDPがアメリカを抜くと言われている。アメリカは今のうちに中国の発展を阻止したい。そのために日本を中国と戦わせたいのである。
日本は平和のために中国、韓国、インド、グローバルサウスと連帯することだ」
羽場久美子教授のこの指摘は全く正しい。岸田首相のように、アメリカと共同と言いながら、実際はアメリカに組みしかれ、日本が中国と戦わせられたら、日本の破滅は目に見えている。米軍は南西諸島から中国に向けてミサイルを撃ち込み、グアムに退散し、自衛隊に戦わせるシナリオだ。
戦争は失うものばかりの悲惨なもの、二度と戦争しない、その思いで、日本は憲法9条をつくり、不戦、戦力不保持を明記した。先人が歴史から学んだことを無にしてはならない。
日本の未来はアジアの国々と力を合わせて、平和を築いていくことである。日本がかつての侵略戦争でアジアの国々に行った加害の歴史をみつめ、二度と繰り返さないために謝罪し、友好・連帯を築いていくことである。それがアジアの平和、発展へとつながる唯一の道であり、日本の未来を切り開くことである。
軍備増強、死の商人への道の行きつく先は滅亡以外にない。反戦を訴えよう。 (沢) -
2024.04.10
日本新聞
日本新聞 4564号記事 熊本地裁不当判決に水俣病訴訟原告控訴
144人の請求を棄却した熊本地裁判決は不当。原告128人全員を水俣病と認め賠償命じた大阪地裁判決。
国・熊本県はすべての被害者救済を
4月4日、水俣病特別措置法の救済対象外の143人が、請求を棄却した熊本地裁判決を不服として、福岡高裁に控訴した。原告は144人だが、1人は訴訟が長期化することで控訴しなかった。原告の平均年齢が76歳という中で、長い裁判に耐えられないという判断は無理もない。決して判決に納得したのではない。
原告144人は、水俣病特別措置法で救済対象外にされたことを不当とし、国や熊本県に損害賠償を求めて訴訟を起こした。3月22日、熊本地裁は原告のうち25人の水俣病罹患を認めながら、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間が過ぎたとして、請求を退けた。しかし、被害者は自分が水俣病であることすら、気づくまでに時間がかかった。原告の一人は「自分が水俣病だと知ったのは検診を受けた時だ。除斥という判断は許されない」と判決を批判した。
水俣病がチッソの流した排水が原因であることを知っていながら隠し通し、被害を拡大しておきながら、責任を取ろうともしない国と熊本県。原因不明の奇病とされ、水俣病患者が出た家は白い目で見られ、小さくなって生きらされた。現在に至るまで、理不尽な目に会わされ続けているのである。
同様の訴訟は全国4地裁で起こされている。昨年9月の大阪地裁判決は、原告128人全員を水俣病と認め、賠償を命じた。今回はそれとは正反対の不当判決である。4月18日の新潟地裁判決への影響が心配される。
水俣病の本質は何か
1956年5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料水俣工場附属病院の細川病院長が、水俣保健所に患者の発生を報告し、公式に水俣病が確認された。原因はチッソが無処理で垂れ流していたメチル水銀を含む工場排水である。のちに細川病院長が「工場の排水をかけた餌や水俣湾の魚をネコに与える実験をして、水俣病が確認された。工場幹部に伝えたが公表されず、実験は一時中止に追い込まれた」と証言している。しかし、チッソが排水を流していたのは1932年の操業開始時からである。
1952年 胎児性水俣病患者出生、認定は20年後
1953年 ネコが狂い死にし、水俣湾に魚が浮く
1954年 患者12人発生
1956年 「原因不明の奇病」として水俣病公表
1964年 東大医学部の白木教授が「水俣病の原因物質はメチル水銀化合物」と確定する論文発表
1965年 新潟大学の椿教授と植木教授が「原因不明の水銀中毒患者が阿賀野川下流沿岸部落に散発」と新潟県庁に報 告.新潟水俣病公式確認
1968年 厚生省が水俣病とメチル水銀化合物との因果関係を公式認定
1968年 チッソ水俣工場はアセトアルデヒドの製造停止
1956年の水俣病公式発表から12年も、チッソは水俣病の原因である工場排水を流し続けていたのである。もっと言えば、1932年の操業開始から36年間も流し続けたのだ。一体どれだけの人が犠牲になったのか。工場排水を流すのをやめれば、患者が増えることもなかった。新潟の犠牲者を出すこともなかったのだ。
企業の犯罪なのに、政府は企業の利益を守り、住民の命を守らない。政府がすぐに原因を究明し、対処を命じていたら、被害をいたずらに拡大することはなかった。日本という国は、被害を受けた側が小さくなって生きらされる間違った社会である。原発事故で被ばくした人が、そのことを訴えれば非難される、実に理不尽だ。
これをたださなければならない。水俣病の問題も、すべての被害者の救済をかち取るまで終わらないのである。(沢)