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2024.06.26
日本新聞
沖縄慰霊の日 南西諸島の軍事要塞化に反対
4575号1面記事
沖縄慰霊の日
南西諸島の軍事要塞化に反対
唯一地上戦を強いられた沖縄戦。6月23日の慰霊の日、多くの県民が
平和の礎を訪れ霊を悼んだ。沖縄戦を繰り返させない反戦の運動を
6月23日は沖縄慰霊の日である。1945年6月23日、陸軍第32軍の牛島司令官が自決したため、日本軍による組織的な戦闘が終わった。この日を沖縄県では慰霊の日として、沖縄戦の犠牲者を悼み、毎年、沖縄戦全戦没者慰霊祭を行っている。
玉城知事は次のように平和宣言した。
「沖縄戦から、平和の大切さ、命の尊さを学んだ。あの戦争から79年、今も広大な米軍基地、それによる事件・事故、環境問題。そして安保3文書などによる自衛隊の急激な配備拡大など、祖先は一体どのような思いで見ているだろうか。
沖縄の本土復帰の時、日本政府は、沖縄を平和の島とし、国際的な経済的文化的交流の新たな舞台とすることこそ、多くの霊を慰めることだと、声明を出した。
米軍基地の整備縮小、普天間基地返還、辺野古新基地断念を求める。戦争につながる一切の行為を否定し、人間の尊厳を重く見る、人間の安全保障、より高次な平和を求める。この島が世界の恒久平和に貢献する国際平和総合拠点となるよう、全身全霊取り組んでいく」と宣言した。
岸田首相があいさつに立つと、「沖縄を守ってくれ!」「沖縄を戦場にするな!」という声が何度も起こった。
岸田首相は「沖縄戦の悲惨な歴史を思うと、胸がふさがる思い」だと言い、「戦争の惨禍を二度と繰り返さないと御霊に誓う」と言ったが、一体どんな気持ちで言っているのか、怒りが湧いた。沖縄を含む南西諸島にミサイル基地を造り、自衛隊を配備し、強大な軍事基地化している。アメリカが煽り立てる「台湾有事」に対応するとばかりに軍事費倍増、5年間で43兆円である。能登半島地震の被災地では、いまだに水道も復旧していない地域が多いというのに。言ってることとやってることが、余りにも違う。御霊にこれほどの嘘を平気で誓える人間に、私たちの未来を任せてはおけないと、強く思う。
沖縄を戦場にするな
79年前の沖縄戦で住民が辛酸をなめさせられたのは、日本軍によるところが大きい。集団自決の惨劇も、日本軍がいるところで引き起こされた。
6月23日が組織的戦闘終結の日と言われているが、実際には、この日以降が最も犠牲者が多かった。牛島司令官は自決したが、「最後まで闘え」と命じる遺書を遺した。このため、最後の闘いだと命を散らさせられた兵士が多かった。「捕虜になるよりは死を選べ」という愚かな教えが、生きられる人をも殺したのだ。ひめゆり学徒などは、6月23日の終結宣言以来、自分で逃げることを強いられた。日本軍が守ることなどなかった。6月23日以後の犠牲者が最も多かったのである。
沖縄戦の教訓を沖縄県民は知っている。だから新基地建設に反対しているのだ。
ところが政府は沖縄県に対して、8月1日から辺野古の大浦湾での軟弱地盤の本格工事に着工すると宣言したのである。沖縄県民は辺野古新基地建設に反対し、玉城知事を選んだのである。その沖縄の民意を全く無視して、新基地建設を強行するというのである。これが「戦争の惨禍を二度と繰り返さないと御霊に誓う」政府のやることか。マヨネーズ状の軟弱地盤に7万本もの砂杭を打ち込むという。軟弱地盤に基地を建設すること自体、土台無理なことであり、ゼネコンの儲けのためなのは明白だ。
慰霊の日に沖縄県民をだまそうとするのではなく、平和の島にすると言ったら、その実現に向かうべきである。
沖縄慰霊の日、反戦の思いを新たに運動を前進させよう。 (沢)
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2024.06.21
書籍
さんぽのおくりもの
待望の教育実践記録 発刊
サッちゃんとあや先生、今日もお・散・歩
「一緒がいいならなぜ分けたー特殊学級の中からー」著 北村小夜氏 推奨
この実践記録を読んで教育の在り方を一緒に考えてほしい。
私も読みながら共感する部分がたくさんありました。が、同時に「それはみんなの中でやってこそ値打ちがあるのでは」という思いが湧き上がってくるのをどうしようもありませんでした。(中略)このところ分けられる側の不幸は指摘されるようになりました。が、今考えなければならないのは分ける側の不幸です。(添え書きより)
文・写真:前原あや
定価1980円(本体1800円+税10%) -
2024.06.20
その他
ホームページをリニューアルしました
ホームページをリニューアルしました。
今後とも、緑の党をよろしくお願いいたします。 -
2024.06.19
日本新聞
311子ども甲状腺がん裁判 第10回口頭弁論 東電は責任認め被害者に補償を
4574号1面記事
311子ども甲状腺がん裁判
第10回口頭弁論
東電は責任認め被害者に補償を
「福島の子ども達のがんは潜在がんで治療の必要もないもの」と言い放つ東電。今も苦しみ続ける被害者をムチ打つ無責任な姿勢を問う
6月12日、「311子ども甲状腺がん裁判」の第10回口頭弁論が行われた。86席の傍聴席に対して191人がかけつけた。「まだ被ばくのことを言っているのか」などのバッシングにさらされながら闘い続けている青年達を支援したい、応援している人がいるんだよというエールだ。
裁判では、原告側の弁護士が、「進行がんでも潜在がんなのか。被告の東電は“治療の必要はない”と言うが、果たしてそうなのか。福島県立医大の鈴木眞一教授は『通常と同じ』と言うが、通常は治療している。摘出しないで経過観察するなど、そのような例は小児甲状腺がんにはない。また、高野医師は“若年層の甲状腺がんは頸部の大きな腫瘤や肺転移など進行した状態で発見されるが、予後は極めて良好。30年以上生存率99%”と述べているが、これは実際ではない」と指摘した。
原告の青年達も何度も再発して手術したり、苦しいアイソトープ治療を繰り返している。青年達の実際を無視し、“予後は良好”などと、医師の立場からよく言えるものだ。
そして被告の言うスクリーニング効果。問題ではないのに、調べたために小児甲状腺がんが多数みつかったという論だ。しかし鈴木教授は、自分が手術した患者で、必要のない手術は一例もないと言っている。では原発事故によって被ばくしたのが原因でしょうという質問には答えない。
それにしても、何度も何度もスクリーニング効果ではないと、原告側弁護団は指摘しているが、被告東電は認めない。原発事故と子ども達のがんとの因果関係を認めたくないからだ。余りにも誠意がない。
メディアは公正な報道
を、裁判所は正しい判
断を
報告会では原告2さんの訴えを聞いた。
――がんと診断を受けてから10年、過酷でつらい治療を受けたが、病状は今も進行している。自分はあとどのくらい健康で生きられるのかと考える。腫瘍マーカーの値はじりじりと上がっている。治療はアイソトープ治療しかないが、効果がない。治療にかけた時間はすべて無駄だったと感じる。常に体調が悪い。
中学の頃から、東京の企業に入って自分の得意分野で活躍したいと思っていた。受験準備が間に合わず、進学先を変えたが、再発のため、退学。病気を人に知られないように、小さくなって暮らしている。
また、夢に向かって通信教育を受けている。もうすぐ30歳、夢の実現は難しい。厳しい体調で不安だ。
最初の意見陳述で支援者の方から“ありがとう”と言ってもらって、この裁判への意識が変わった。この裁判の主役は私たち原告なんだ。これからも、自分がその場にいて、自分の目で見て、その瞬間を見届けていきたい。これからも原告達とともに最後まで一緒に闘いたい。そして、声をあげられずに一人苦しんでいる甲状腺ガンを患っている一人一人の力になりたい ――
堂々とした訴えだった。
次に各弁護士から裁判の中味について話された。
柳原弁護士の「学生時代、生活保護不正受給の裁判で、本人尋問の中味で“お金がなくてメガネを買えなかった。黒板の字が見えなくて、何も勉強できなかった”というのを聞いた。裁判はこういう声を届けなければならないと思った。原告2さんは意見陳述で生まれ変わった。毎日泣きながら文章を書いた。それを聞いて感動した裁判官は異動になった。これを新しい裁判官に伝えなければならない。原告2さんは理不尽に屈しない人になった。原告さんの生の声をこれからも大事にしたい」という訴えは会場にしみわたった。
井戸弁護団長は「次回から原告の要旨説明の道が開けた。12月、3月の期日で東電が反論する予定。裁判も大詰めになってきたが、メディアが報じない。そのために知らない人が多い。社会的世論を大きくしていくために、これからも協力してほしい」と呼びかけた。
被害者が小さくなって生きらされ、加害者の東電は次の再稼働をねらう、これは明らかに間違っている。
メディアは真実を報じるべきだし、裁判所には正しい判断を求めるものである。(沢)